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コラム

道中二足の草鞋|18. まだ足りない

 古希…、来る如月生誕日での決め事は、小生を自由にしてくれるはずです。
 そう信じる今の気分は、まるであの高校時代のよう…、久々に子どもと大人の境目の空気を味わっているのでございます。「俺たちの旅」、最終回の青春が甦ってまいります。
 

 あの親離れという高校時代は、寝る前に、「俺は変わらない」だなんて胸張って思ったりもして、そして朝起きれば、前向きながらも直ぐ後ろ向きになったりもして…、今ではピンと思い出すことも少なくなりましたが、それらは一種、自分への革命でもありました。今でも、背中を押してくれる沢山の情を深く懐い出せるのであります。
 ただ、二度目の青春(70s)ともなれば、今はもう誰も助けてくれません。コピペもできません。時計のカレンダーだけが変わらずに動いていきます。もうそろそろ、時間通りに時間を使うことは諦めましょう。唯一同じであることは、変わらずに畏れを大切にしていること、そして唯一異なってしまうのは、「神も仏もないものか…」、そう思う時間が短くなるだけなのでありましょう。
 

 しかし、「また同じdecadeとなりそうだな」と、同情する過去の自分がすぐそばにいます。
 先日のことでした。「お待たせしました」、古希に対して遅ればせながらの挨拶をしたのです。しかし、「傘寿までの10年もまた宜しく」に続く言葉は少し嗄れて、つい小声で「お願いします」と付け加えようとしたら、少し鼻水が出て古希に笑われたのです。全くもって気の弱いことです。
 

 確かに、まさに蒼き、あの青春を超えようとしても、それは無理です。
 悔しながら、自分一人でやることが段々と増えていったあの当時の心の比重、そして葛藤の面白さにはもう勝てません。大人であるはずの自分が何故か小さな迷子に思えてしまいます。
 ああそうだ。2年ほど前でしたか、母高校の生徒さんたちが修学旅行の研修の一環で遊びに来てくれたのです。そうしましたら何となんと、小生とはジャスト50年の開きがあることに気づきまして、懐かしき彼らの制服を50年も離れて見ている自分と、昔の制服姿を懐う自分…、何とも、感慨深かったですね。
 70s、そこに意味があるとか無いとか、そういう問題はもうどうでも宜しいですね。これからもまた、「これがそうか」と気付くことを愉しんでみようじゃないですか。ホワイトボードのスケジュールを読み上げるだけでは詰まらないのです。
 

 思い起こせばあの当時、楽しい思い出と悲しい思い出のどちらが多かったのか…、今はもう思い出せません。それでもつい最近、地雷復をいう卦が心の片隅を掠めた気がしたのです。今、胸の奥に残る疼きは、その名残りでありましょう…。
「もうそろそろいいんじゃない?」、「いやいや、まだ足りない…」、冷や水であっても、何かを期待する気持ちはあの当時と変わりません。
 

追伸…恐らく今から10年後…、新たに古希を迎えた後輩たちは、還暦の奴らの扱い方に手こずっていると思いますね。そんな新古希の輩には、「10年前の先輩方のご立派なお裁き、感服致しました」、だなんて言わせたいものです。さてもさても、新青春時代70sの到来です。

「誰に似たのか、同じく、何でも着こなすタイプなんです…。」