コラム
境界
拙ブログを纏めた本を作って頂きました。
『研修期、同調、上司』の三部作です。
若手と上司、端境にある心の移ろいをそれぞれに入れ込みました。ただ、自身の心の表現とはいえ、それを正確に穿つことの恥ずかしさ、そして自分を更正させることの難しさを改めて感じた次第です。
あの昭和晩期、若手の心の仕様が上司のそれへと育ちゆく朝な夕なの手術三昧…、それこそ色々と経験のある奴らが、そして全く経験無い奴らが、色々と考えながら、色々な精神状態で闘っておりました。初めに何があったかはもう忘れてしまいしたが、とどのつまり、残るべく思いは確かな形として、心の上澄みへと撹拌されていったのであります。
その意味において、上司になるまでの季節は、思いを心の形にすることの価値を知る時代でもありました。そのせいか、今思い起こしても疑いなく、境界にあるものは何事でも幾久しく美しいと懐えるのです。それは多分、歌が人と共に生きる時代だったからでありましょうし、塞の神のお力もまた大きかったのでございましょう…。
そして今、眼の前には高級に整った拙本が並んでおります。
烏滸がましくも、曙、黄昏の時分にある外科医の心象だけは、あたかも天の原の風花の如く、ぼんやりとではありますが、かなり中庸に表されているのではないかと自負します。
手術人ら、仲間たちの心が健かな形となってそこに見えそうです。
「惜しむらく、もう少し安価に製本ができれば…」