Doctor Blog

コラム

かたちとことば

チーム医療である限り、チームという形を作らねばなりません。
こうしたいと思うこと、ああなればいいなと思うこと、例え子供っぽくても大人っぽくても、各人それぞれが主人公になれる形を取りましょう。何故なら、形は目に映るものでありますからね。

形として表現されているものに、本来余計な言葉は要りません。
考えてみれば確かに、日本人は古来から、あまりにも形がしっかりしていることに関して、言葉で残すことが不得手だったのかもしれません。いや違うか、言葉なんて必要ないと考えていたのかもしれない、いやむしろ、文章化することでその意義の高さが壊れる、穢れるとさえ考えていた気配もあるのです。何とも畏れ入ることです。お陰様で残された我々は、何とも色んなことを考えなくてはならないし、色々と妄想しなくてはなりません。でもまあそれはそれで、楽しいことではあるのですけれども…。
形をきちんとキメるのはとても大切なことです。多くの経験が出来なくなりつつあるこの時代、言葉の文化ではなく、形としての文化をしっかりと繋げていくことが大切かと思うのであります。

しかしそれでも、形に言葉を入れることは必要です。
形という伝統を心から言葉で表現したくなる思い、それは日本固有の優しき文化であります。我々手術人にとってはとても幸せなこと、利用しない手はありません。少々の大和言葉をもって、ただただ柔らかく文字に置き換えるだけのことです。
形に言葉が塗されれば、また形が生まれます。形を文字で上手く表せるからこそ、形もまた文化として進化するのです。それは、手術という多少厳しき形を言葉で慰めるようなもの、結果、言葉は手術そのものを表現するだけでなく、手術に参加する仲間たちの憶いもまた表現してくれます。そこに大切な緩和が生まれます。

ただ、まずはそこに形が無ければ言葉の意味はありません。
エキスパートとかリーダーシップなどと、形より先に言葉を持たせようとする限り、また、そこに便益性を考える限り、そして、意味なく形を変えようとする限り、術と緩和の向上は望めません。
大切なことは、自身が生きる場所を擬人化しないだけ、客観視しないだけ、そこに溶け込む自分を確認するだけ、そして、ただただ勘違いしないだけです。言葉の文化は柔らかくなければなりません。理想なんてほんのちょっぴりでいいのです。
形に上手く言葉を被せてあげる、そうすれば、日本の医療ならではの伝説は生き延び、その伝統はさらに繋がっていきます。まずは兎に角、上等な形がそこにあるかどうかであります。その意味でも、日本はもともと幸せな国なんですよ。そうですね、最初に何があったかは知りません。でも確かにあの時、形はありました。

ところで、皆さまはこんな風に聞かれた時、どのような言葉で若手を納得させますか…?

  • 手術は早い方が良い、早ければ助かる。じゃあそのための修行方法は?
  • 手術教育には場数を踏むことが大事。それに合わせた指導計画は?
  • 働き方を本気で考えるのならば、早く終わることを皆で努力しましょう。じゃあどうします?
  • 手術は全て引き受けます。その環境は? どう整えますか?

これらは全て、患者さんにとって最も大事な安全対策であります。もし既に、形としての文化が当たり前にあるのであれば、そこに塗す言葉、つまり答えは簡単ですよね。
今の世の中、言いたいことも中々言えませんが、少なくとも仲間内では自分の言葉で話すことが大切です。いずれ、形の中での共通の言葉となります。恥ずかしいことも多々ありますけどね。
ああそうだ、人前で歌うと思えばいいのです。歴史なんて歌い継がれてきたものと考えればいい、簡単なことです。そうすると、話が真実からかけ離れていったとしても、何だか沢山食べれて嬉しいと感じる…、その心は段々と物語チックになっていきます。そうするとたまに、甘い涙があることも知ることができるのです。

さて最近、極めてベタで頬が染まるセリフを吐きたがる齢となっちまいました。
もし言葉で何か問題が起こるとすれば、それは足して足すからな訳で、たまには引いて割り算して考えてもOKと思いますが、如何なものでしょう。その内に何とかなるのが、本来の、形があるが故の言葉の塗布文化です。それは臨床に携わる者の誇りでもあります…。
出来ますれば、大和言葉で話してみませんか、もちろんウイスパーボイスで…。心の中だけの万葉仮名でも宜しいですよ。

「えッ、何ですって…? ああその事ですか」
そうですね、確かに仰るとおりです。感性だけで生きてきた外科医の成れの果てかもしれません。
でもだからこそ今まで、良くも悪くもご縁だらけの人生でございました。常に優しい言葉をかけられておりました。「内はほらほら、外はすぶすぶ」、そんな曖昧さまでもが良く見えた気がしたのです。そんな環境では、多少のいい加減さが余裕を作ってくれます。そうするといつの間にか、やったことがない手術も当たり前にできるという自信も湧いてきます。自分が主人公になれる形の文化とはそういうものです。
夢、現実、妄想、夢の現実化…、今までサボってきたような気もするし、必要以上のことをやってきた気もします。今テレビで、ご飯にカレーがかかっていない高級カレーを観ていて、何故かそう思ってしまいました。

「えッ、何ですって…? ああその事ですか」
御免なさい。ブログ、なるべくサボらないように致します…。

「88君、そろそろ復活か…」