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コラム

文化 新宿(正確には代々木)

丸々20年も歌舞伎町の近くで働きもすれば、直ぐに認めて腑に落とすことが当たり前となってしまいます。勿論その分だけ、心のメモ帳には極太斜体で刻むことが多くなりますけどね…。
うーむそうか、あの周辺は一種パワースポットと言っていいのかもしれません。それは無限のループでもございます。ベタに申せば、未だ色褪せない不夜城なのであります。

それにしてもあの研修期は、ちゃんと噛まずに飲み込むライスカレー的な毎日、長き外科医人生の中でもまさに青春でございました。あまりにも良い子で居すぎた小生は、「馬鹿なことを考えてもいい」、前向きにそう思えるようになったのであります。無論言わずもがな、そのやんちゃのスケールはそれほど大きくありません。でもそれでも、あり得ない幸運を心の奥底で感じる、愉しそうなことを本当に愉しく経験できる…、外科医は心にしろ、技術にしろ、緩和にしろ、物々交換が基本なのでございましょう。気分は商売〼〼繁盛、何とも絶妙に緩和のツボを突く事柄が多くなってきましてね、いやはや背徳感Maxなのでありました。
午前零時、ひとまず目前の事柄に手を合わせる毎日、そのきっかけは何だっていい、他人のためでも自分のためでも…、誰かのために何かをしたら自分もまた良い経験ができる、極めて容易にお互い得をしてしまう、そんな謎の理論がまかり通っていたのでございます。

さて、ここまで長々と書いてきましたのは、手術文化という極めて分かりにくいものであります。
しかし後々に懐えば、その文化は、我々外科研修医に理由のない誇りを与え、そして、あざとき利益や野心とは全く無縁な情念をもって人々を集団に結び付けるものでありました。自らが生きてきた土地を説明無しに愛して、客観的には今からの過酷な生活環境に耐えうると実感できるのです。
そうですね、それはまさしく、余りにも当たり前過ぎて禅問答にも四文字熟語にもならない、しかも、先へのビジョンたるや何も見えはしない、でもそれでも、刺激があって専門家が見ても知的緊張と興味が湧くという、経験したものでなければ分からない、経験すればもっと分かるという都合良きものであったのです。そこにまた、新たな文化らしきものが生まれていくのでありました。
ああそうか、その意味において、手術文化は間違いなく日本古来の祭りそのものでしたね。何とまあ見物者の多かったことか。
そんな祭りだからこそ、それぞれの記憶が屈託なくやや強めの意思をもって残ってくれます。それぞれの時代の人間が繋がることも必然でしたね。我々一人一人が外科医らしく、多少いい加減に哲学者になっても良いのではないか、そうとも思えてしまうのです。確かにそれは祭りでございました。やはり将来へのビジョンなんて野暮なことを言ってちゃ駄目です。神さまは中々粋なのであります。

文化と祭りを同時にリセットする、
考えますにこの心の変換は、自分自身に、そして社会に雑多な問題がある時に起こりやすいものなのでしょうか? ぽっかりと心が空いた時に生まれることもありそうな気もしてまいります。
絶対的な主題があって、かつ、それがゆったりと緩んで普通の気圧に戻る環境さえあれば、皮膚呼吸が楽になり、糖分が頭に回るように殆ど生理的に文化哄笑が湧くのでありましょう。当然そこには、何かしらの運命的、もしくは霊的要因も関与するのかもしれません。だからこそ、その思いを感じさせる道筋だけを我々ロートルは残しておけば良いのかもしれませんね。それは、何かが届くという感じではなく、何かがホンワリと残るという感じです。目の前のことに対して直ぐに超楽に対処できる環境さえあればOKなのです。それが元々の新宿(正確には代々木)です。

何事も無かったように祭りが終わる、波のように観客が去っていく、そこには何も変わらない環境が残るだけ…、そうすればまた新たな文化が生まれ、一段上等な祭りとなります。
文化が溶けて煮込まれて一つの文明を構成する、文化が周りから入って淘汰され文明となっていく…、
大切なことは、問題は文化が溶けて無くなる環境があるかどうか、皆が食べていける場所があるかどうか、そんなある意味何も変化させない、何も残そうとしないモダンな管理者が祭りの後にいるかどうかであります。決して老醜はいけません。
無論このこと、文化々々なんぞと小難しい精神論を言っているのではありません。文化の解放と言うべきか、その気楽さを言いたいだけです。そんなんがホンマモンの新宿(正確には代々木)でありました。

「まあ結局、あった病院はただそごさあるだげでいのだ」