文化 その廿八 あの穢れなき研修医は今…⑤
小生は今まで、確固たる決心を持って自ら積極的に動いたことは殆ど無いのではないか、多分…そうです。
ただ一つだけあるとすれば、大変僭越ですが、理想と思う手術を実際にしてみて、それを最初に観たのは自分であると他人より得した気分を味わう…、そんなことが外科医としての唯一の能動ではなかったかと思います。確かに手術だけは、そのような大変不埒な感覚を持っておりましたね。要はかなりの阿呆だったのであります。
しかしそれは今も変わりません。小生が観たい手術を若手には是非にやって貰いたい、そしてそれを小生が観て一等最初に批判してあげる…、小生的には湿布でも貼ってあげようかという思いやりなのですが、これまた不埒にそう思っているのです。要は、未だに我儘な阿呆なのでありましょう。
さて…、近似値として医学は科学です。がしかし、それを実学として整えるには人の心が必須であります。
もう3~4前になりますか、本を出させて頂きました。主な目的は二つ、手術の本質である手術人を学問すること、そして、手術を感覚的に捉えることで手技力を高めることにあります。
手術室のど真ん中に立ったつもりで手術を行うには、仲間たちの心に守られることが必須である、そんなことを考えながら、硬めの黒表紙大型本を書きました。あまりにも高額のためか、それとも細かすぎる内容のためか、在庫の山との連絡を頂いております。
一方、申しましたように、小生は未だ間借りしているだけの、そして雨宿りしているだけの書生らしきものであります。人や世間に意見したり訴えたりすることは自分の柄じゃありません。柔らかめの白表紙小型本は、小生のような気の弱い外科医が人前では絶対に言えないこと、また、穴があったら直ぐに飛び込むであろうことを箇条書きにしました。今でも頬に残る熱感は、どうやらこれが原因のようです。
さて、手術文化を考えてみましょう。
文化の維持と発展には、仲間たちの心をどう守るかが大切と考えます。
これは最も気を遣うところでありまして、当然その中には、生涯をかけてやっとこさ守ることができるという文化もあれば、ある時節だけの象徴として評価すべき文化もあるのです。しかしいずれにしろ、文化には、それぞれに染み付いた刻々の枝葉というものが無ければ、そして、背負わされた医療者の業を消す何かが無ければ、それはいずれ朽ち落ちてしまいます。それは文化ではない、そう言われても仕方ないのです。
手術をするという状態にあるのが手術人である限り、手術文化は人間同士の取り引きで創られます。そしてお互いの人情に訴えかけることで進化していきます。そうやって手術人が文化に枝葉を付けることによって、その日陰で手術人が守られるのです。
手術は、決して、同じ部分ばかりを求め合って調和するのではありません。単にこしらえるというたわいもないものとならないように心を配るだけですね。文化が文化らしく生き残るには、前回に申した多少の遊びと芸、そしてそこから得られる窮屈でない対流があるかどうかだと考えます。
手術人はどうあるべきなのか、よくよく考えなくてはなりません。
お開きに話しが飛びます。
それにしてもあの当時、運命の人とはならずとも、ただいるだけで心地良いっていう人はそこらかしこに存在していました。もちろん、それを振り返ってもあまり意味は無さそうであります。ただ、その人たちを思うたびに、記憶の中の彼らの表情が動き、声まで聞こえそうになりますね。運命の人ではなかったところに何かしらの意味がありそうなのです。
今の小生は色んなことを懐う事ができます。しかしどうにもこうにも、それぞれにしみじみし過ぎてしまいまして、しかもそれがあちこちに飛びまくるものですから、最近とても困っているのでございます。
やはり、続きます。
「人間の付ぎ合いどいうものは単なる唱和共鳴どは別の場所にあるのでねが、むすろ別腹で温められる何がに普遍性があるどいう気がすてら。すかも、その本質以外の空間があればごそ、関係の質含めだ唱和共鳴はもっと輝ぐ気もするのだ。お神酒信奉者の真骨頂でもありますが、あの時は確がにそう思ったのであった。ふとの付ぎ合いなんてただただ難儀なものなんだがな。でも実におもへぐもあるべな」