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コラム

文化 その廿七 あの穢れなき研修医は今…④

少なくとも言えることは、もし、あの当時の研修医たちと一緒でなかったら、恐らく、東京砂漠を生き残ることはなかったでしょうね。ましてや、小児心臓外科学に何の魅力も持てなかったかもしれません。今こうして、頬を染めながら緩和の話もしていないと思います。何かしら強烈なものが小生の心に残っているのでありましょう。
そうです、あの当時の小生は、間違いなく、奴らといることだけで、緩和という雨あられを受けたのでありました。
もちろん、後々に今思えばということではありますが…。

どうやら、緩和とはリアルタイムに感じるものではなさそうです。もちろん新たに学ぶことでもありません。
あの当時の出来事を、「あれが緩和だったんだ」とジワジワ思い出す、そしてその思いがすっぽりと抜けた記憶の中心に収まる、それは時離れとでも申せましょうか…、本来の緩和とはそんなものかもしれません。
そうですね、もしそうであれば、むしろ現場においては、「何を言っているのか分らん」、聞く方にはその度合いでちょうど良いかもしれません。「このことは昔少しだけ聞いたことがある…」と、後でさりげなくその緩和を懐う、実に魅力的なことです。そこからまた、何かしら新しく始まる気配もいたすのです。

そんなところで、あの当時に貰った緩和の役割を考えてみるのですが、それほど大仰なものではなさそうです。
それは単に、小児心臓手術は愉しいもの、そう言い続けるための秘訣にすぎないと思えてしまいます。
いや違いますか。小児心臓外科はそのように容易なものではありませんね。愉しいと叫び続けなければ、何かがスルリとこぼれ落ちてしまいそうな学問でもございますから、それは、長く叫ぶための気力と妄想のための秘訣だったというべきでしょうか…。
緩和とは緩衝剤です。それは人間好きという感情とは全くもって不離なもの、そして何とも青春っぽいもの、老熟ゆえに蘇るものではありません。

さて、あの研修期のことです。思えば、気持ち的にはかなり中途半端でしたね。
微妙、行き当たりばったり、宙ぶらりん、そんな中を右へ左へと漂っていた気がいたします。確かに、当時の小生は、真剣さ、自覚が足りない、そんな評価を受けていたのであります。
しかし、それは自由で責任が無い故のことでもあったのでしょう。それでも、小生自身は研修医の鏡であると信じておりましたね。事実そうだったように思えます…。
それにしても、あの昭和晩期、そのような曖昧…、いや、どっちつかずの中間とも言える空間は、大変に面白かったですね。意識をあらゆる方向に飛ばして、そして無節操に考えることができたのであります。正解不正解はあまり気にしませんでした。その時々にその是非を判断して、また意味なく考えていったのです。
手術を考える際は、手術の組み立てを必死で吟味する、でも心は自由に遊んでいる、逆に心が遊びながらも、手術はそれなりに然りと企てる、つまり、仕事と遊びを完全に分けない感覚とでも言いましょうか、それが中間であります分かりやすく言えば、決して石部金吉で物事を考えないということ、久米仙人で考えないということ、多少の距離感を保つのです。

そのような中間が許される空間では、まず、妙な欲望や勝つだけのあざとさ、巧妙心を感じることはありません。何しろ自由なのですから。
物事や人物を概念で規定することも無くなります。しかも手術に関しては、頭の中だけですが、手術技術が機能性を持って進化していく気がいたします。何しろ、責任が無いのですから。
無論、これは小生だけの妄想でもありましょう。でもある意味、心に無意味な余裕があることに、その訳があると思うのです。
しかし、中間とは、いつまでも素人という立場にいることでもあります。どんなに自己満足しても、ずっと素人としてみなされます。とても楽な中間ではあるのですけどね。

ああそうだ、前々回申した榊原の手術室休憩室、夜の動物園もまた、中間の浮世そのものでしたね。
何でもいいから喋れよ、何でもいいからアイデアだせよ、何か笑えるオモロイことは無いか、そのようなどっちに転んでもOK、何でも是認の議論…、そんな中間には、気持ちの回復や開放がありました。
人より多く学ぼうとするようなもの狂おしさも無い、ただ眼の前にあるものの価値を見出そうとするだけ、そういった中間があったからこそ、逆に、若手それぞれの自我が芽生えた気もいたしますね。当意即妙な返しができるようになるのです。それは集団からの卒業でもありました。研修期ゆえの大切な一環だったのであります。

研修期の若手が示す一貫性の無い態度、また、前に考えたことを忘れて今を直感でいこうとする態度、そして、明日こそは真っ当に生きようとする反省無き態度…、
それらは、外科医らしい中正であり、過不足が無い態度と考えるべきでしょう。医学は反省の歴史を有してもいますからね。それはそれでいいのです。若手がとても大切な中間という母胎に柔軟に生きている証拠でもあります。
いずれ若手は、そういった中間思考をから外れて新たな道を歩き始めます。それが手術三昧気の始まりでもあります。それまで上司は、若手手術人とともに中間に一緒にいましょう。たまには、少なからずのお金も入り用ですが、それもまた文化ですね、上司の大切なお仕事であります。
臨床教育が変化するこの近代、研修期の中間という文化が無くならないように、いや壊さないようにしなくてはなりません。

続きます。

「こらごら金魚、こいだばだめだびょん。一体どこの国の酒買ってぎだんだ。なんぼ津軽弁フランス語さ聞ごえでも、ひろさぎの酒場で津軽弁通ずねごどはねはず。やづが酒にすぶどいどは分がってらだびょん。こったの飲んだっきゃ、わんどのほうが潰さぃでまる。せばだばシャバダバ、まいねびょん」