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コラム

文化 その廿六 あの穢れなき研修医は今…③

触媒の恩人たちは一体どれほどの働きをしていたのか…?
色々とあたってみたのですが、そういった研修輪廻ともいえる文化は、病院史や業績集などの記録に残るはずもなく、むしろ勝者論理のもとで既に排除された気配もございまして…、それにしても、医療者の働きを医療以外の観点で見つめ直すことは中々に難しいですね。けっこう恥ずかしくもあるのです。
しかし小生は、確かにあの混沌を抜け得た一人です。
僭越ですが、小生が記憶を辿らなければ、あの研修文化という養分は野に埋もれてしまいそうな気もして…。
美しさと嫌悪すべきものが判然としなくなった今、醜悪なものの中でも泰然とできる大人になった今だからこそ、何かしら言い残せるのではないかと思うのです。
ただ、今現在の小生が触媒の役目を上手くこなしているとはとても思えません。しかも、何か一言申せばハラスっぽくもなり、新たに始まった改革を軽く無視してしまいそうになりもして…、いやはや、恩人の存在なんて単なる思い込みだったのか、ついそう思ってしまいます。
あれから40年超、余りにも同じ生活を送ったせいで焦点距離が近くなりすぎているのかもしれません。
そんなところで、ご期待に添えないことを二つ申してお茶を濁します。

① 緩和の度合い
今思えば、恩人の緩和は、かろうじて嗅ぎ取れるものでありました。
それは、鼻詰まりを治して少しだけ眼を休ませてくれる感じです。だから人の心にはうっすらと残る程度、でもそれでも、その日の傷心は少しく修正されたと記憶しています。
そうですね、緩和というものは、分かるように話せば却って押し付けがましくなります。多少ふざけた程々の内容として、後々ゆっくりと気づかせる程度でちょうどいいのでしょう。
ああそうか、それはもしかしたらその恩人の含羞ゆえのことなのかもしれませんね…。
自身の含羞に触れるくらいの慎ましい緩和心であるからこそ、小生には「儚かな」という思いが残ったのでしょう。またそうであるからこそ、小生は誰に遠慮することもなく、僭越にも一個上の人間となれる自信を持てたのではないか、今ではそう思うこともできるのです。
当時の恩人にはそういった次元の基盤がございました。次元とは品性であります。もちろん、お神酒の扱い方だけはプロ並みであったこと、しっかりと記憶しています…。
② 遊びと芸
遊びとは、余裕もしくはゆとり、一方、芸とは、それぞれに異なる状況への対応力を意味します。
言葉は悪いですが、手術ってものは同じことの繰り返し、いずれマンネリ化します。いつもと違うと思わせなければ若手は飽きてしまいます。それが本来の意味での上司の遊びと芸、腕の見せ所であり、資格でもあります。
そして時々に、笑いには心を配るべきです。
笑いを真剣に創ることは、空気を読んで相手をじっくりと見るということでもありますからね。結果、何かが生まれてまいります。普通でないことへの対応が可能となりますし、経験上そういった空間ではあまり変なことは起きません。感動させて涙させるよりは笑わせて涙させる…、緩和にはむしろそのような芸が相応しいと思います。
遊びと芸を作ることはそうそう難しいことではありません。そうしたいと心から願う人間が存在するだけのこと…。
ああそうでした、思い起こせばそんなこともまた恩人の必須の無駄でありました。敢えて褒めれば、緩和だけには頭が良い人、手術だけには頭が良い人ということになりましょう。遊びと芸が無い現場はやはり窮屈です。

しかし最近、このような一見のんびりした対流の風土はあまり好まれません。
それでもそんな環境では、人間の脳細胞は互いに刺激し合って活発に働くようであります。意外なことです。
面映いことですが、それこそが病院の品ある知性ですね。本来の交誼と言ってもいいでしょう。本領が発揮されるのです。もし、こういった伝統が無くなれば、当然に研修期の文化は語れませんし、むしろ文化そのものが貧相になってしまうのではないかと思ってしまいます。
それにしても恩人たち、後世を意識し過ぎて後世人を辟易とさせる…、そのような如何わしい功名心を全く感じさせないところに、彼らの悲しさと愛しさを懐わざるを得ません。これもまた悲愴と滑稽ですね。
僭越ながら、小生のそのような懐いは、恩人たちへの心からの感謝であります。そして、昭和晩期研修期への供養でもあるのです。

人間の知性というものは、相手の疑問にどう答えるかよりも、疑問そのものをどう案じるかによって推し量れるのかもしれません。そうでないと、人間の心の調和とその解決にはなりません。察して、案じて、相手を懐う…、例えば、「お腹空いてませんか?大丈夫ですか?まあともかく飯でも食いましょうや」、てな感じです。
でもまあ、現実的にはただ単に、
自分だったらこういう手術をしてもらいたいという手術を他人にもしてあげる。
自分だったらこういう緩和をしてもらいたいという緩和を他人にもしてあげる。
他人からして貰いたくないことは他人にしないだけ…、それだけのことです。
そんなところに昔の恩人を思うのです。
アララ…、ここまで書いて、小生にはそういう懐古趣味があったんだと初めて分かりました。頬を染めるしかありません。

さてさて、皆さま方の「もう勘弁してくれ」というお声が聞こえますが、もう一言、いや二言くらい…続きます。

「学ぶどいうごどは、自身の色変えるどいうごど、そすて文化作り鍛えるどいうごど。だばってそれは決すて、風土がら離れで成立するものではね。風土見づめ抜いで、周りの雑音払って、そすて突ぎ抜げでいぐ精神だげが文化の普遍性ば醸すます。だはんで、他人獲得すた普遍性ば自分の功名譚どするごどほどめぐせものはね。含羞だげはなげですまわねように立派な爺いになるべが」