文化 その廿五 あの穢れなき研修医は今…②
しつこいようですが、4年10ヶ月の研修期は退職金に反映されませんでした。それでも僕は元気に生きています。あまり気にはしていません。ただ、そう通告してきたドヤ顔に呆れただけです。
一方で、この期間の年金は満額保証されるとのことです。しかと安堵しました。その深き温情に感謝します。僕は日本を愛しています。
研修医という人種が病院にとってどれだけ大切な存在なのか…、もし僕が将来偉くなったら、彼らへの義理人情だけは心に刻んで生きようと思っています。何度も申します。それほど気にしている訳ではございません。
さて、そんなところで心を落ち着けて、
この病院も、切れ目なく40年超となりました。何とも早の簡潔履歴書人生、そこには間違いなく何かしらのご縁があったのでございましょう。お世話になって寄食して、家事を手伝う傍ら勉学に勤しむ、そのような書生としての余念無き生活は今も昔も同じです。苦労とか仕事という言葉は初めから宙に浮いているのであります。
結局のところ、そこに居着くかどうかは、「あー良かった」と思うことが幾たびあるかで決まります。それは、その場固有の文化でもありましょうね。結局、どういう文化を選んで居住むのか、もっと言えば、如何にしてそこに在る文化に愛されるか、…であります。
最も濃密に文化を感じる、というか、身に沁みて思うのは研修期です。しかし、その実はかなり混沌の時代でもあります。
混沌とは、具体的造形が無く、あらゆる精神がごちゃまぜ、そして、あやふやな皮膚感覚とワーワー騒ぐ聴覚記憶だけが寂しく残る世界のこと…、まあ色々とあるのでございまして、そう言う小生の頭も混沌としております。そうです、そんナンが混沌であります。
混沌期の若手にとっては、まず、自身の心を上手く浄化していくための手段、つまり、自身の居場所と座席を探し当てることが至上命題となるのであります。
はてさて、そのためにはどういう条件が要るのでしょう。
一つ覚えていることがあります。
今まで、500人以上の研修医とそれこそ家族的に付き合ってきました。榊原の風土しか知らない簡潔履歴書の身ですから、とやかくは申せませんが、
混沌期には必ずといっていい程、その浄化の触媒となり得る、幾人かの恩人が所々に現れるようであります。そんな話を一ついたしましょう。
小生には多少ですが、「お話し」だけで手術を覚えたという印象があります。
前回申した±3yのほぼ同輩の輩たち、その中には決して恩人とは思いたくない恩人もいますが、彼らのお噺がそうでありました。
夜の動物園と称される榊原の休憩室…、夜な夜な、「手術はこうあるべきだ、そうあるべきだ」などと、あーだこーだの申し合いが始まります。彼らは、それぞれが理想とする手術に関して、その思想をきらびやかに語るのでありました。
しかし、そこは如何せん稚拙同士の論じ合い、箸にも棒にもかかりません。
その殆どが映画と漫画の台詞を模しただけの理想の弁舌、そして、弁解に弁解を重ねた理論崩壊の言い訳ばかりです…。毎夜々々、その論点は右往左往してしまうのでありました。そして面倒くさくも、恐らくは歌舞伎町の御姉さま方から仕入れたであろう格言らしきものが突然に飛び出すものですから、それはもう、けっこうな大騒ぎとなることが屡々だったのであります。
しかしながら、そのような矛盾する妄言を嫌というほどに浴び、そして、それぞれの人となりを顔も見たくないほどに値踏みしておりますと…、これはアララの不思議です。
人間の脳はそれなりの選別をするのでありましょうね、
常識から外れた手術であっても、特に外れそうで外れない訳ありの事情を持つ手術に対しては、「これはもしかしたら良い手術かもしれない」という錯覚が浮かんでくるのです。いや少し違いますか…、良い手術との確信は持てずとも、「少なくとも悪くない手術とは何か」、それが何となく分かるようになっていくのです。
そしてまた、肩身の広い手術を求めて、その中から「浮気性的に悪くない手術を模索する」、そんなことを四六時中やっておりますと…、そして、その度ごとに、「西口の屋台のオジさんに管を巻きに行く」、そんなことも四六時中やっておりますと、これまたアララの不思議です。
あたかもジゴロのように、自分が最高とする理想手術をすらすらと論評できるようになっていくのであります。
それはつまり、頭の中で手術が描けるということ…、そう、それはまるで映像です。有難くもそこには、手術の実際の技量までもがそっと寄り添ってくれるのでありました。
このバーチャルともいえる夜の動物園効果は実におかしなものでして、もちろん色気も大人っぽさも無いのですが、今でも思い出す度に、手術の視力がその都度に向上していくのであります。
いやはや、皐月を過ぎてこの梅雨の季節になりますと、何故か…、そんなことを懐かしんでしまいます。
さて読者の皆さま、小生の混沌の一部分は、こんな感じで晴れていったのであります。
良く言えば、自由闊達な思考によるものと言えるのか…、うーむ、これもまた研修期の文化でしょうね、世間とは隔絶された環境だったことにもその一因がありそうです。
手術は決して芸術ではありません。しかし、その考え方とそれを語る態度だけは芸術たるべきと考えます。
つまり、それはある意味において大衆芸能ということ、ですから、敢えて聞こうとしなくても充分に心が遊ぶことができますし、喜びは意外にも濃くなっていくのです。手術人としての音痴まで治してくれる気もいたします。
榊原記念病院には、新たな医療を作る者と、先人が培ってきた医療を守る者、その双方を育てる使命があります。新たな巧妙事にばかりに目が行って、文化的に味気ない病院とする罪だけは犯してはいけません。特に緩和に関してだけは、若手に失望と違和感を覚えさせないように、伝統ともいうべき看板を保たねばなりません。でもそれは比較的容易なことです。病院として大切にすべき文化を知っておくだけのことです。
小生が研修期を思う時にはどうしても、手術手技や教育云々という話題ではなく、そこにいる人間の性格とその移ろいに興味が行ってしまいます。手術ってヤツは、所詮はヤクザで人香のする商売でもございますからね。
混沌という環境は、むしろ、知性や理論を突き抜けたところの感情や意志によって自然に浄化されることもあるのでしょう。そうやって、中途半端ながらも庶民的な手術文化が育っていくのです。
さてさて、もしかしたら、
この作文で最初に申した、あちこちで感じる「文化らしきもの」とは、若手が上等に生きられる、もしくは、若手が健康に成長するであろう、若衆宿的な風土なのかもしれません。つまりは、形は違えども、筋がいい、品がいい、その病院にとても似合っている…、そのような風土の微妙な共通性にそれを感じるのかもしれません。
そうですね、若手がいるから、病院の文化は新たに創られるのです。
続きます。
「昔々がらよぐしゃべらぃでいるみでぐ、人間の違い生ずさへるものは自然ど文化らすいな。まあ要は環境によってふとの性格は微妙さ変化するどいう訳なんだ。ばって、わんど津軽人ど日向人どの会話には、そうだな…、100種類ほどの単語もあれば充分がな。相手の言葉にねっぱってら感情ただただ受信するごどが大事なのさ。心さ引っかがね話す方ど聞ぎ方、そんきで相手さ与える幸福感生まぃるす、外さ出すたぐね思いや感情遠慮なぐ出すこどがでぎるんだ。もぢろんお神酒ど三味線はその主知的作業には必須だよ」