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コラム

文化 その廿二 自我

小児心臓外科学の基礎とは?
基礎がしっかりしているってどういうこと?
ここまで研修期のお話しをしてきて、今さら思うことでもあるまいに…。

器用貧乏とでも言いますか、全てが何となくできて全てに何となく対応してくれる人、確かにおりますね。
どんな人生を送ってきたかは知りませんが、年の功でしょうか、直ぐに対応できるようになる人、これもおります。
それでもまあ、若手外科医の殆どは、箸も棒も敢えて無視して歩くが如き人種なのであります。

基礎について少し振り返ってみましょう。
切る、縫う、結ぶといった基本手技、これらはしっかりと練習すべきです。
小児心臓手術は同じ手技の繰り返し、ですから当然のことです。大学時代にこういった授業はありませんしね。早めに必死にやって下さい。そうでないと、手術そのものが成り立ちません。むしろ邪魔であります。
ただ、言ってはいけないことを申しますが、「基本練習は自分を裏切らない、必ずや努力は報われる…」、そんなことは決して思わないで下さい。残念ですが、そのような尤もらしい空言は失望を生む以外の何ものでもないのです。
基本手技の習得は、手術に参加させて貰えるだけの資格にすぎません。いずれそのような練習を釈迦力に行うことはなくなります。飽きるとは申しませんが、練習もまた同じ手技の繰り返しですからね、その時期が訪れるのは必然であります。
でも、確かにそうですね…、求める手技のイメージに、自分の手が追いつくことは滅多なことではありません。練習には限界があります。

さて、そうこうして、若手には次の季節がやってきます。
それぞれの手技の組み合わせを考えるようになるのです。つまり、如何にすれば自然な流れを作れるのか、しかも端から見て美しいのか…、もちろんそれは、基本手技の練習あるゆえのことです。
ただ、この組み合わせの妙だけは、初めから褒められるように努力すべきです。それが唯一認められるべき外科的IQだからであります。
とにかく、上司の手術をじっくりと観察しましょう。
但しそれは、学ぶという感覚ではありません。必死でアラ探しをするのです。そして、そのアラ部分だけは上司より上手いと思えるように、そして思われるように準備しておきましょう。
先人に学ぶ本質はそこにあります。悪いことをしているという罪の意識はかなぐり捨てて下さい。うち面もそと面も鍛えるのです。それを悪代官風に申せば、かすかな暗い光が自分の中に灯って、周りの闇をにやりと照らす…、そんな感じです。
ところで、反面教師という言葉は誰が作ったのでありましょうね。何処かの小児心臓外科医だったかもしれません。

話を戻します。
切る、縫う、結ぶという練習はもう充分と思える、というか、実際にしなくなれば…、
今思えば、この時間帯の消失は小生にとって大切なことでありました。それはあたかも、日常の労役から開放されホッとした気分…、強いていたものが外れて、何かがぽっかりと空いた感じです。
さて一旦そう感じてしまいますと、自身の性格は180度転換します。これは不思議です。
余分となった糖分が脳に回るのでしょうか、ものを考える余裕が出てくるのです。いや、そんな生易しいものではないですね、強迫というべき脳への指令であります。
哲学らしきもの、そして思想らしきもの、つまり手術の理想や外科医の信条などを、稚拙ながらも、臆面なく考え始めるのです。その思念は止めどなく飛び跳ねまくりますね。すると周りには必ず、そういった思想に相対する人間が出てきます。ひと騒動が勃発します。遠慮会釈なんてものはもちろんありません。

ただ、それらのネタ元は思い切りチープです。
怪しい啓発本を読んでみたり、有名人のお話を聞いたりするだけのこと…、特に信長秀吉家康の性格、そしてCallingについては殆どの若手が何やかんや言っておりました。
後はただひたすらのモノマネです。言葉のカケラを拾うことで、若手の中では君臨した気分にもなり、また君臨された気分ともなりまして…、城を取ったり取られたり、怨敵退散の議論が続きます。流石に出家した輩はいなかったと思うのですが…。
そしてまた難儀なことに、若手にはそういう時に限って、自身の手術手技が向上しているという、見栄はりの自負心が急速に湧いてきます。タチの悪い勘違いもまた余計な程に起きましてね。今では何とも恥ずかしい限りであります。
しかしそれはある意味、遅すぎる反抗期と言ってもいいのでしょう。
抑圧されてきた心の何かが爆発するといった気持ちになるのです。けっこう爽快でもありました。
都合良く申せば、自我の誕生と言えるのか…、少なくとも、やらされ感は無くなります。

それにしても、当時の上司はさぞや大変であったと思うのです。
若手それぞれの自我には強い個性がありますし、しかもそれらは、ほぼ同時期に一揆的に起きるのですからね。
とはいえ、そう悪いことばかりでもありません。
そういった連中が出てくれば、まず手術のリズムが変化します。教科書的もしくは授業的に手術が流れる、というか、半意識下に手術が流れる、そのような感覚が無くなります。
それは自我ゆえのこと、若手それぞれに、「写生する眼が開く」とでも言いましょうか、手術だけでなく、手術以外のものに対しても視野が広がります。結果、手術の流れそのものが美しく見えるようになるのです。

そうしますと、医師も看護師も技士も、皆一様に進化するという雰囲気が生まれます。
もちろん、新たな文明らしきアイデアは中々出てきませんよ。目の前にあることを考えるだけであります。
でも少なくとも、二番煎じの手術をオリジナル以上に上手くやることは容易となります。オリジナルを作った先生には申し訳ありませんが、「お前に勝った」という満足感が手術人を集団として結び付け、そして理由の要らない矜持を生むのです。
基本手技に費やす時間の消失は、大きな勘違いながらも、若手手術人にとって自画自賛すべき文化大革命なのであります。

さてさて、外科医の基礎とは何か、
まとめますと、基本手技の習得、妄想的かつ稚拙な思想と反抗、自我覚醒に伴う視野の拡大、そして行き着くところは、仲間たちの手で踊らされるといういつもの結末…、何やら何ともよく分かりませんね。それでもこの流れを眺めることで、基礎らしいものが少しだけ垣間見えそう、と思うのですが、如何なもんでしょう。

改めて小生の場合、
もちろん研修初めは、基礎を学ぶなんて考えもしません。眼の前に現れてくるもの全てを必死に追いかけるだけであります。それはかなり不特定多数でした。
しかしその多くは、いずれ萎んで記憶から抜け落ちてしまいます。もちろん、再び拾うこともあります。そしてまた追いかけることもあるのです。暫くはこの繰り返しです。
でもその中で、頭ではなく身体で覚えたこと、特に手が覚えたことの殆どは、上司となった今も残っています。
そして、頭の中で当たり前すぎるほどに当たり前と感じたこと、これは手術以外の事柄が多いのですが、特に痛切に打ちのめされたことは、同様に今も小生の中に居続けております。
それらは中々消えませんね。
日常臨床のある時点において、特に危機的状況では、今風に姿を変えて浮かび上がってくるのです。その都度に助けられております。周りには、眼が開いた仲間たちもまだ少しは居残っておりますしね。もちろん、そのことを年の功、年寄の冷水なんて言われるのは、誠に心外の極みではありますけど…。

そんなとこで、敢えて無理くりに外科医の基礎を考えるとすれば、
研修期に経験する不特定多数の出来事の中で、振り落とされずに残ったもの、その中でも、身体で覚えたもの、心で感じたもの、それらが結合して、周りに邪魔されながら、雑多に積み重なったものと言えましょうか。
但し、基礎の価値というものは、あくまで他人が判断すべきものでしょうね。そうでないと、何やら胡散臭いものになってしまいそうであります。
ちなみに、運と勘だけで生きてきた小生、その基礎を他人が見れば、「訳分からん、多分に鼻につく」、どうせそんな風に言われるだけしょう。確かに小生には、人様にはとても見せることが出来ない、隠してしまいたいと思う基礎らしきものがたくさん居残っている…、そんな気もいたします。

上司となった小生、最近は、若手の下剋上的自我を感じることは滅多にありません。
果たして、それは良しとすべきことか…、少し心配になってしまいます。
「基礎」の役割は、文字通り、基礎自らが基礎となって外科医の本質を作ることにあります。ですから、いったん整った基礎であっても、一歩進んでいかなければ基礎の基礎たる意味はありません。そこから先、何かがハジけていって欲しいと思うのです。
僭越かつ誠に残念ながら、小生に向かって放たれる彼らの下剋上を心から弄ぶという、上司だけに許された心のお遊びが無くなってしまいそうであります。上司本来の役目は、基礎の先にあることを忘れてはいけません。

今の今まで、若手手術人の成長には、若さゆえの沢山の矛盾がありました。
ただ、矛盾そのものが許される環境であったから、つまり、矛盾の転がりから逃げずに、そして逆らわずに関わってきたからこそ、大切なものが残っていったと考えております。その積み重ねが外科医の基礎でありましょう。その時々の転がりをもって、若手それぞれの基礎、そして文化となっていくのです。
そうですね、外科医の基礎は一つの視点で眺めることはとてもできそうにありません。限定することもできません。変容がまた変容を生むのです。
ですから最近…、
「基礎を教える」なんて発言を聞いたりすると、少しだけギョッとして振り向いてしまいます。

続きます。

「思想や考えは自分にそすて社会さ雑多な問題がある時さ起ごりやすぇものだ。だばって、それはポッカリど心空いだ場合も同ずだ。それは普通の気圧さ戻るはんでなのだびょんか、その価値高まる気もいだすます。
あの研修期、東京さ来て雑多な文明さ惑わさぃ、喧嘩すてそれ反省す、ようやっと若手集団さ文化らすきものが生まぃだのであった。もぢろん非合理で普遍性はね。でもそった文化は、若手さ理由のね誇り与え、利益や巧妙どは無縁の心によって、手術人ばその土地さ結び付げだのだ。ただ良がれ悪すかぃ、そういった文化は転がり続げるものだ。その宿命忘れではいげね」