Doctor Blog

コラム

文化 その廿一 平穏

あまりにも偶然すぎる、そんなことが起これば、人間はそれを運命と信じます。
しかしそんな運命なんてそうそうあるはずがありません。運命というものは人間が認識することなく、むしろ日常の生活の中にそっと潜んでいると思えるのです。
例えば、何の問題もなく今日一日を恙無く過ごせたという事実、これはある意味、守られた偶然として捉えることができます。平穏という名の運命と言っていいのでありましょう。
よく見てみれば、いやふと見るだけでもけっこうですね、運命というものは知らず知らず、そこらかしこに存在しているのです。

がしかし、人間は平穏に慣れていません。いやむしろ、その大切さに感謝もしない、平穏の意味を知ろうともしません。それだけに今や、平穏はあって当たり前として扱われております…。つまり運命とされない存在になろうとしているのです。
ですから、平穏が無くなれば大騒ぎするし、そのための予防策と決まり事だけを講じて、無遠慮に解決を図ろうとしてしまいます…。「恋愛とは…?」、そんな問いに対してお節介なアドバイスをするのと同じくらい、押し付けがましく思えてしょうがないのです。実に困ったことです。
平穏はもともと毎度お馴染みの運命です。なすべきことは、平穏であるということを在り来りのものとして祝福するだけであります。少なくとも危機管理の思考では訪れません。

結末を先に申します。平穏という運命には緩和が不可欠です。
各々に緩和心があれば平穏は作れます。逆を言えば、緩和が無くなるから、平穏は運命の座からこぼれ落ちてしまう…。失礼を承知で申せば、緩和さえあれば、人間は平穏に感謝する必要もなく、そしてそれを運命と感じることもなく、平穏とともにのうのうと暮らすことができるのです。
そう考えれば、平穏という運命を求めることは実に簡単です。そこに緩和心があるのか無いのかを確かめるだけ、ただそれだけのことです。後はお任せですね。平穏の運命を司る神さまの思し召し次第です。もちろん、感謝もせずに伸う伸うと暮らす輩には、暫くそっぽを向くかもしれませんが…。

ただ、神さまに頼るだけではあまりにも芸がありません。やるべきことはあります。
それは、明瞭でも漠然でも、日常の生活の中にその時々の価値を見出すことであります。即ち、誰かのために、自分だけが今やれることを見つける、それが価値であり、本来の緩和であります。そうすれば、後は、それを使命として消化していくだけのことです。
ただ順番を間違えてはいけません。あくまでも自身自らが価値を感じることから始まります。いきなりマニュアルやガイドラインといったハイカラなもので使命感を先行させては元も子もありません。
そうですね、どうすればカッコ良いのかという仕組みではなく、どうなればカッコ悪いかを考えて、カッコ悪くないと確信できればそれでOKとしましょう。それは、心の決まり事が少しだけ決め事に変化するということでもあります。何でもかんでもコントロールされる使命ではどうも塩梅が良くないのです。

加えて、経験上もう一言、平穏のための緩和は、仄かという感触だけにしておきましょう。
それは付随的アクセサリー程度のもの、遠慮もしくは倹約という並びでちょうどいいですね。早熟れの桃の香りが微かに漂うような、気付かないで終わるかもしれないがちょっとだけ気になってしょうがない…、そんな感じです。
緩和は大きく叫ぶようなあざといものであってはいけません。比較をしたり、物怖じしたり、逃避的な考えを持たないようにするだけです。

いつの時制、いつの社会でも変わりませんね。緩和のためにはどう振る舞い、どう行動するのが最も美しいか、そういった美意識のあり方が大切です。
緩和は一種の秩序美です…。顔付きが良いってことでもあります。ですから病院としては、平穏という運命の観点からも、伝統ともいうべき緩和の看板を磨いておかねばなりません。

無事に今日一日を過ごせた、でも平穏を感じない、感じる必要もない、
もしそう思えるのであればそれは多分…、平穏という名の運命が既にひょっこりと顔を出している証左でしょう。それこそが我々手術人に取って最も大切な平穏です。敢えて申せば、緩和ある故の余徳であります。
うーむ…そうですね、何だか烏滸がましくも、平穏だけは人間が作れる運命ではないか…、そう信じる気分になってきました。たとえ近い将来、閻魔さんに「そんなもん信じるからバチが当たったんや」と言われようとも、決して後悔はしないつもり…であります。
兎にも角にも、今ある平穏に対しては、気づかれないように感謝だけはしておきましょう。

続きます。

「どうやら本日の小路での宴会は、形容詞ど擬音多ぐなりそうだな。まあとにがぐ、歌舞伎町乾杯ず奴のむったどの形がら入るべが。もっと話すればえがった、もっと酒酌み交わせばえがったなんて、後々後悔すねようにな。そすてまだ、複数年後さ何がが生まぃるどいう期待持って、すっかりギラギラのバイタリティー、今宵はどごどん楽すもうぜ。とごろで土手町の姐さんへの油揚げだげは忘れるなよ、後がおっかねはんでな」