文化 その廿 若手の生態⑦ 教育-十 風土
さて、あの昭和晩期のことです。
外科研修期の原風景とは、朝方3時頃に寝て、翌朝とはとても言えない6時に起こされてまた手術が始まる…、そのように実に殺風景なものでした。今思えば、多少はゆるゆるとした時代だったとも思えるのですが、当時は刹那という感覚で時間が流れておりましたね。そのせいでしょうか、中心だけがすっぽりと抜け落ちたような、概念的な記憶ばかりが残っているのであります。
その輪っかの枠だけに残る記憶、そこに根本的な主題は見出せません。
ただただ、その枠に関与した人間の振る舞いや会話に、嗅覚や味覚という不安定かつバーチャルな感覚が複雑に絡み合うだけなのであります。がしかし、その明るさは異常です。しかも少々心地良い。ですから、小生の意に反して、あの当時のあらゆる心持ちが無遠慮に飛び出してきそうにもなるのです。
それにしても不思議です。そのように枠だけに残る記憶は、今現在の小生の中で、如何ようにもその言い訳が作れますし、如何ようにも説明が困難となっていくのです。
研修期とはこんな世界であります。
医学の資質に多少恵まれた輩が、未経験ながらも理屈を騙り、それが屁理屈と分かっていても理論を打って突き進む、そして、それを斜交いに眺める含み笑いの上司がいる…、そんな感じです。
素直に申せば、アカデミックとは遠くかけ離れた無駄話と与太話、もっとあからさまには、外科医には常識だが世間では非常識、そんな中を彷徨い歩く季節…、とも言えます。
いやはや、思い起こせば南谷勘彌と煩わしいことですが、懐かしい限りでございます。
何度も申します。
手術的IQを高めようとする態度こそが外科学という学問です。そして、手術を学ぶということは、全てを巨視的に、同時に細部を抉り出す態度と考えます。学びたいという良質な感性を示すことで、大切な協力者を得ることもできますね。それもまた外科学の面白さであります。
これに関して、一つだけ申しておきましょう。
外科医は、実際に執刀するようになりますと、つまり手術三昧期には、なるべく手術室に居なければなりません。
手術そのものが幾人かの手に渡って流れるようでは、主の顔が見えなくなってしまいますからね。折角の手術の場が荒れることになります。
手術室に居れば、執刀医として若手たちの全てを見ることができます。人となりもまた、総じて感じることもできます。一方、若手の手術人たちは、執刀医の細部まで観察するようになるのであります。
そんな執刀医は、手術室の家守りです。
もちろん、五月蝿い爺い様が四六時中手術室にいれば、余計なことまで強いることになりましょう。でもそれはお互いに我慢です。執刀医も若手も、手術人としての成長を近似値まで知りたければ、そして、チームとしてのIQを高めたければ、これが一番手っ取り早い方法です。若手のタラレバの意義も余計に際立つのです。
ただ注意点もあります。
執刀医が手術室で日がな一日を過ごす…、それはある意味、他に何もしなくていいということ、つまり時間がたっぷりあるのです。ですから端から見れば、暇な奴だとか、偉そうに見えるとか、手術馬鹿とか専門馬鹿とか無趣味人間とか、そう思われることもあるようです。
そうですね。小生もいつの間にかついつい、もちろんたまにですが、手術室の中で、人生とは、運命とは、愛と恋の違いとは、神々の世界とはなどと…、あらゆる方向に意識を飛ばして無意味に考えることが確かにあったのでございますノデス。
しかしそれでも、心の底からの言い訳ではありますが、終日手術室におりますと、
手術室で気づくべきもの、その中でも最も大切なもの、それらがいつの間にか、こそっと逃げ去っていくという感触は無くなります。見つければ直ぐに共有できるのです。また同時に、それ以外のどうでもいい決まり事や手術理念なんぞはさっさと何処かへ飛んでいってしまいます。つまり、今直ちに反省すべきことだけ、そして実務的かつ効率的に必須のものだけがとどまってくれるのです。
医療環境が徐々に変化する昨今だからこそ、このような同時性のある同時感だけは大切にしなければなりません。特に手術三昧の環境下ではとても重要なことであります。
うーむ、まさしく暇人としての言い逃れですが、執刀医にとりましては、この同時感ほど、明らかにご褒美と思える機会は滅多にないのであります。ですから、どうか手術室の皆さま方、爺い外科医がウロウロしていても、是非に温かく見守っていただければと願う次第です。
小生は今まで、執刀医として随分多くの研修医を見てきました。
話しが飛びますが、小生は何故か、そのような研修医たちの心に浮かぶ懐い、そしてその揺らぎに興味をそそられてしまうのです。それぞれに個性がありますね。
このことは、若手がどのように成長していくのか、そして、それに対して上司がどう対応するかという、いわば小児心臓手術人の心の歴史であります。職人的文化と言ってもいいのかもしれません。医学史の専門家でもない小生が言うことではありませんが、こういった手術人個々の心情は、外科学進化のための大切な歴史として、書き残しておくべきと考えます。
一方、いったん彼らが集団となりますと、これほどの多国籍軍なのに、開けてみれば、心の「まとまり」という手術室にあるべき風土を強く感じるのであります。恐らくそこには、チームとして、同一の目的を達成したいという同一の責任感があるのでしょう。それは、手術人としての整いもしくは均衡であります。この心の仕様もまた、研修期にある文化ですね。同じく、文字として残すべきと思うのです。
ただ、大切にすべき個性や集団という文化そして風土は、油断しておりますと突然に変化してしまいます。直ぐに壊れるのも必定でありまして…、これもまた、今まで外科学にあった歴史でございますからね、心しておかねばなりません…。
それにしても、殺風景な記憶は殺風景なりに円運動を引き起こすようであります。あの昭和晩期の研修期を当て所もなく書いてまいりましたが、かえって鋭敏なまでに緩和された気もするのです。
それにしても、この「若手の生態」は長すぎました。反省しております…。
続きます。
「奴の飲み方は、相手の懐さ入ってまるのではなぐ、無節操さ自分の懐さ入れでまる、そうだな、生贄さんいらっしゃいどいう感ずが。毎回自分さツッコミ入れ、一人ボケで撃沈するどいう実さ不可解な天真爛漫、本人は微妙な中間的評価決すて許さねのだが、でもたまにはこぃもいべさど思う。どうやらそれは不特定多数満足さへでが為みんたが、恐らぐは自分への治療でもあるのが。そえでも少なぐども、複数で何がが生まぃるどいう期待は確がにある。決すて褒めだぐはねが、それにすても羨ますい性格だ。人商売どすての外科医さ好ますい態度ど言わざる得ねか」