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コラム

文化 その十九 若手の生態⑦ 教育-九 女傑

今回は顰蹙発言が多そうな気配…、故に飛ばしまくります。

昔の中国の女将さんたちはかなりの力をお持ちでしてね、家の内では宗廟や神殿の儀式を執り行う中心的存在なものですから、大変に尊敬を集めておりました。女将さんと御神酒と箒、婦という文字の由来でもあります。
もちろん、彼女らの強さはそれだけじゃありません。殿方の皆さまはご存知の通りでございます。

さて、何故にこんな話をするかというと、
外科医の研修期とは、一家の女将さんに教育を受けるというか躾されるというか尻に敷かれるというか、もちろん同時に甘やかしの飴も気つけの薬も常備されておりましてね…、女将さんの気の向くままに風がゆるりと流れる、そんな時節なのであります。それはまるで、不滅の宿命が流れ巡るメビウス環ですね。毎夜毎夜「はちきん」の監視下でお酌を受けるようなものでありました…。
そう言えば当時の研修医たち、その殆どは母方のご先祖さまに守られる南方系の母系家族でした。従順、素直、忠実、御意…、これらは我々の合言葉であったと記憶しています。

そしてそうそう、当時の手術室とICUには何故か、箱根の険を楽々飛び越えてきた大量の九州女傑たちが居住んでおりました。これら女丈夫に手を引かれ足を引かれ手のひらに載せられて、ただひたすらに背中を押されたのであります。結局、為されるがまま永劫に道を誤った感もありますが、何しろ、知力・経験力・武力すべてにおいて彼女らには勝てません。ましてや九州のおなごでございますからね。楯突く、手向かう、抗う、背く…、これらはすべて忌み言葉だったのであります。
研修期とは、純な草食系青年外科医が、有無を言わされぬままに騙り口に釣り込まれ、そしてその将来を決められるというやや強めの北風の季節、そう言っても過言ではないのです。

僭越ですが、外科医に限らず医療者というものは、大変な犠牲を強いられる存在です。無論、誰からも褒められませんし、むしろ文句が出るばかりであります。特に研修期はそうですね。
しかも当然にその時期は、錬金術も処世術も皆無でございます。仕事も私生活も相当に紛糾します。無論、そんな環境を否定する勇気も逆らう実力もございません。ただただ大きな小言をもって、叱咤という薫陶を受けるのであります。大騒ぎとなることもまた恒でありました。
とはいえ、仕事場でも家庭でも、そのような環境のもと(恐妻組合)で育ちますと、文字通り恐れ入ることではありますが、「仕事をしている」という感覚はすぐに消えていきます。徐々に徐々にですが、「日本中の子どもたちを治して、その幸せ感だけで生きていける」、そんな厚かましさ満載の熱情にうなされるようになるのです。
手術の矜持というものは、そのような、男子が生きる道にしては曖昧かつ疑問の残る、ただただ従順という岨道から生まれるのかもしれません。大変皮肉なことでございます。

ただそんな世界で生きていれば、若手の心は奇跡的にも、
人はどう行動すれば美しいのか、どう思考すれば公益になるのか等々…、それらのために手術を選択したという一点に集約されるようになります。
そうしますと、
一つの手術が終われば、次にはもっと良くできそうな自信が見えてきますし、
よく見えるから、努力することの大切さも見えるようになる、
ひいては、お互いをどう叱咤激励すべきかが分かってくる。
そうなれば、不可避的に「術」の質の向上が期待できるようになります。そして必定、患者さんも親御さんも、そして医療者も全てが緩和を受けることができるのです…。
今思えば、そんな研修期はまさしく金銀珠玉の時代、というよりは金の草鞋を履いて踊らされる時代と言うべきか…。

女将さんと女傑たちの心の動き、それはまさしく物理的な念であります。
緩和心を背負わせて無理くりに舞台に上げようとしますし、面倒くさくも、呪術師としての役割をもって寸劇を構成しようとするのです…。しかし、彼女らの手掌上での生活はむしろ楽でもあります。そんな時はただただ頭を垂れる稲穂の気持ち、君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし…、それもまた外科医を育てようとする彼女らの緩和心でありましょう。多少は迷惑なれど、その懐の大きさにひたすら服従心を誓うのでございます。
そしてこれは何度も申しますが、研修期において、研修医を自由にさせ、かつ責任をなるべく少なくさせる意義は、外科医としての自由な時間とは何かを考え、そして責任を少なくする意味を見出すことにあります。無論、そうさせることは、若手を迎える上司がすべき義務、そして礼儀であります。しかしそれ以上に、女将さんや女傑たちの躾を十分に受けさせる時間を創るための仕掛けでもあるのです。

若手には、研修期に続く手術三昧期を迎える前に、つまり「手術は仕事である」という感覚を持つ前に、手術の愉しさとは何なのか、面白さとは何かを、嘘も誤魔化しも無く知って欲しいと願います。それはある意味、「手術をしてもいい」という資格でもあります。
ただ、手術の愉しさと面白さは上等と言われるものでなくてはなりません。そこに、患者さん、親御さん、仲間たちへの緩和もまた生まねばなりません。「ああヤヤコシ」がごっちゃなオモロさになっていく…、そんなところにも、女将さんたちや女傑どもの業とも言える腕の見せ所があるのです。

そんな研修期を過ごした小生の場合、
目玉焼きは半熟がいい、その際にはウスターソースとマヨネーズは必須、できたらマスタードも。甘い卵焼きでもいいな。いや、卵はやはり味噌汁ポッチャンがいいか、もちろん熬り子だしの半熟で。それとも黄身はご飯ぶっかけにして(OKTKG:オンリー黄身の卵かけご飯)、残った白身は目無し焼きにしてもらおうか。スクランブルだけはどうぞご勘弁。
これらはあの昭和晩期から続く卵の原風景、それは手を変え品を変え生き延びてきた文化、女将さんの手を煩わせてきた結果であります…。その周囲で繰り広げられた早朝叱咤激励の会話だけは、くっきりと記憶の屑箱に残っているのでありまして、今でも朝食のたびに、早めの満腹感を味わうのであります。

続きます。

「普通の気圧さ戻ったはんでなんだびょんか、肺呼吸ど皮膚呼吸がたげ楽になるんだよね。それにすてもあの手術三昧期には、ニスククサムライがなすて1日少ねのがなんて、むったど恨んであったよな。だばって今はもう、そった気持ぢは消えでまった。何がでったらだものに包まぃだ気分なんだな…。とりあえず、回鍋肉は豚バラ肉よりも青椒肉絲風の細めの肉使ってほすい。味噌汁は玉ねぎ、ビールは恵比寿、日本酒は鮮烈な『作』がい」