Doctor Blog

コラム

文化 その廿三 輪廻

理想の外科医って…、はて?
将来を背負う外科医って…、さて?
答えられない、いや答えてはいけない、そんなご質問をよく頂くようになりました。

最近のこと、若手の心に、粗めの紙やすりのようなザラザラ感を感じます。ここ暫く無かったことであります。しかし、取り立てて違和感はありません。矛盾らしきものも認めません。小生にとりましては、むしろ頼もしく思えるのであります。
それにしても見渡す限り、今現在の手術を実際に背負っているのは、超ザラザラ(ZZ)と噂される外科医ばかりでございますね。スベスベした輩にはとんとお目にかかれません。小生も気づけばいつのまにか、ZZ世代と呼ばれていたのでありました。そういえば50歳以降、「ああやっぱ外科医だったんだ」とか、「外科医だからな…」などと言われる頻度が、指数関数的に増加していった気がいたします。
とはいえこのザラザラ感、それは決して、性格が悪いということではないのです。陰険、陰湿ということでもありません。でも確かに、小生は今まで、同職の集団から、小生の性格の良さを指摘されたことは一度たりとも無いのであります。実に奇妙なことですが…事実です。

そんなとこで、ZZ世代の中で最も気が弱い分類に入る小生はいつも思い悩んでいるのです。
若手に感じるザラザラ感(ZZ感)というものは、いったん均して、スベスベにしておいた方が良いものかと…、
そして、スベスベは、理想の外科医、将来を背負う外科医にとって必要なものかと……。
うーむ、外科医の教育って本当に難儀なものです。はてさて…。

このザラザラ感を極めて良い方向に解釈すれば、独創的もしくは鷹揚飄々、形而上的思考優位の性格と言えましょうか…、いやいや、それだけでも多分に面倒なことではあります。
がしかし、たまに摩擦熱を起こすザラザラは、外科医自身、そして若手手術人を助けることが少なからずあるのです。

改めて、外科医にあるべき風骨、もしくは思想、自我というものを考えてみますと…、
それらは、手術そのものから生まれるというより、むしろ手術とは関係ない出来事から浮かび上がってくるのが殆どであります。手術を外れた時に言葉を超えて語りかけてくる気がするのです。手術はその触媒にすぎません。
手術以外の出来事の核だけが深く心に沁み入って、それらが自身の背骨を形作り、手術そのものを強くさせる大切な要素となるのです。それが鷹揚飄々、つまりザラザラということですね…、そんな由縁のザラザラならば、それは育ちの良いザラザラと言っていいでしょう(我が儘とも申しますが…)。もちろんこのことは、他の職種においても同様であります。
少なくとも言えることは、若手にとって、資格を得るための規則やその中にある数字といった、形而下的な基準だけが幅を利かせる環境での修行ほど辛いものはないのです。特にそればかりを得意とする一番乗り功名の上司の下では尚更であります。そんな処では、心がつるりと滑ってしまいそうです。
ザラザラは、ある意味、外科医に必須なのです。

話しを戻します。
理想の外科医とは? 将来を背負う外科医とは…?
もし、若手がそれらを目指すのならば、そして、それらを得るための資格というものがあるのならば、我々の誰かが専門家としてその本質を考え、ある程度は定義しなければなりません。それがたとえ、絶対の虚構もしくは妄想であったとしても…、であります。
少々申しますと、
何はともあれ、虚構で考える限りにおいても、そして現実的に考えても、若手手術人に対してどれだけインパクトある影響を与えることができるのか、安心と希望を与えることができるか、そして分かち合えるのか…、これらは直ぐに定義に入れるべきでしょうね。そうであれば、さらなる理想が作られ、また、さらに将来を背負うことができそうです。個々のキャリアや実績というような、そんな胡散臭いものだけは入れてはなりません。
加えて、極めて観念的ではありますが、たとえザラザラ感があっても、また仮に上から目線であったとしても、そこに涼風を感じる、ひいては、良いか悪いかは別として魅力を感じる…、これもまたあって欲しいですね、そうならば、混沌の中に生きる若手であっても、ぐずぐずと小節にこだわらないとでも申しましょうか…、ちょっぴり妖しげですが、それと同じ量だけ蠱惑的なものを感じ取ることができそうです。これもまた、理想となりましょうし、将来を背負うと言ってもいいと思います。
そうですね、考えれば考えるだけの「理想」と「背負う」がありそうです。

小生の若手時代を思い起こしますと、その時に何が語られ、何を教わったのか、あまり覚えていないのです。しかし、上司のザラザラと皆の笑顔だけははっきりと思い出すことができます。
「いつまで経っても子供やな…」と叱られるかもしれませんが、「理想と背負う」に関して、もし今現在にあの当時の上司がいたら、小生にどのようなアドバイスしてくれるのだろうか…、そんなことを考えてしまいます。
実に女々しいことです。でもそれでも、あの当時のザラザラが、現在の小生を維持するための緩和として響いていることに間違いはありません。僭越ながら、理想はともかく、背負うことだけは何とか続けていると思うことができるのです。
結局のところ、理想とか将来を背負うということは、若手時代にどういう緩和を受けたかによっても決まるのかもしれませんね。それらは、いずれ次の若手に渡すものです。
自身が受けてきた緩和を、確信をもって後輩若手に渡したい…、理想と背負うには、そういった輪廻もまた大切と思うのであります。

さてさて、読者の皆さま、
この文化という稿は、出来れば時代を超えて、外科学の不易あるいは本質を書きたかったのですが、相(愛)も変わらず、幻想じみた妄想だけが羞恥無く湧いてくるだけのこと、自分ながら大変に滑稽なことであります。
理想の外科医、将来を背負う外科医とは…、うーむ…、
今はただ、外科医が向かうべき道の正しさ、そして規則が向かうべき道の正しさ、この両者が乖離しないようにと祈るばかりです。
長々とすみません。ZZ(ジジ)世代、成れの果ての妄言でありました…。

続きます。

「最近はどうにもごうにも沁み沁みす過ぎますて困っております。若手身さ沁みるどいう経験さ対すて、わんどロートルはむったどドヤ顔で輪廻想うのでありますが、果だすて若手はそれ英知どすて感ずでらのだべが。最近は多分さ疑問さ思うのであります。わんつかだげばって閉塞感も感ずますね。湿布の貼りようがねのであります。
さで、この小路には七対三ず割合ではありますが、ふとの心助げるべどする何がが置いであります。もぢろん未だに、七割も助げで貰ったどいう実感はね。だばってその置いである何がは、迎える側の嗜みどすて、そすて老舗どすての嗜みどすての、小路そのものの慎ますい懐いでねがど思うのであります。その内さ小生も、お返すに三割くれだったら助げる側さ回ってみでと思ってら。ついづい通ってまるどいうわり癖付いでまったようだ」