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コラム

文化 その十五 若手の生態⑦ 教育-五 突き抜け感

もう5~6年くらい前になりますか。日帰り白内障手術を受けた直後の秋葉原界隈…、見るもの全てが4Kに変化したのでありました。
特に赤色の鮮烈さにはまさに目を瞠ります。
緋、朱、丹という色彩感覚の普遍性が大きく壊れまして、暗さの中にも明るさを感じるというか、艶を感じるというか、アブノーマルとも言える精神世界の特異性を持って小生独自の赤色が新たに輝いたのであります。それは、何者かによって空間が屈折させられているようでもありました。確かに、都市の造形までもが入れ替わったという感触があったのです。
それを一言でいえば、「すぱっ」という音が聞こえそうな突き抜け感…。
医師でありながら現代医療の進歩を敢えて無視し、ただただ何故こういう人間に生まれ変われたのかという面白さと達成感を抱いて、帰りの山手線に乗ったのであります。
 
さて、先日の講演で専修医の先生から頂いたご質問です。
「卒後3年目です。ハイボリュームセンターで研修する意味ってやはり大きいと思います。しかし、それなりの欠点もまたありそうな気もして、そのあたりについてお聞きしたいのですが…」
 
『お答え、というか雑談として…。
小生は今でも、手術に入る際には緊張を味わうのでありますが、ただその緊張感は当然に若手の頃より、種類的にも時間的にもポジティブな方向に変化しております。それはもはや、単なる儀式とも言えそうです。
ところで貴方の場合、どこまでいけば研修医としてのお役目が済むのでしょうね。一体いつになったら「お前、手術してもいいよ」っていう資格を貰えるのでしょう。少なくとも、何例もしくは何点で資格が貰えるような単純なものではないことは誰でも知っています。
結論を申せば、やったことがない手術でも十分に出来るという感覚を如何に獲得するかどうかだと考えます。それが先程の私のスライドで示した「突き抜け感」というもの、即ち何でもOKという懐いです。
この突き抜け感を目標に手術室で過ごすのが研修期であります。もし研修終了というものがあるとすれば、それは少しでも突き抜けたってことでしょうね。そのために貴方がた専修医には自由で責任が無いという大きな利点があるのです。そういった意味において、ハイボリュームセンターが存在する意味は在るっちゃあ在るし、それが無ければ意味は無いっちゃあ無いし…、ということでしょう。
しかしまあ確かに、貴方が考えているハイボリュームセンターの欠点もまたある訳ですから、1~2年は心臓外科でなく医学を学んで、「見ればいい、話を聞けばいい、教科書を読めば済む」、そんな感覚を少しでも感じるお年頃になってからハイボリューム施設に来るのもむしろアリだと思うのですが…。
しかしどんな過程を辿ろうとも、また、資格を得て手術を始めたとしても、結局はそこから先には沢山の試練が降りかかります。ですから、突き抜け感をその後もどう上手く維持できるかどうか、それはやはり貴方の今後の要となることに間違いはありません。云々…』
上司となった今、実はそういった突き抜け感においても若手の資質を判断しています。お得意のほったらかしでもありますが、何となく悪代官みたいな気分になりつつも、自分ではお節介(緩和心)の真骨頂と思っている次第です。
 
修行中の外科医って輩は、どこまでいっても何かしら不満を持つようですね。それは宿命です。でもある意味、純粋すぎる培養下での成長とも言えます。もちろん、それら不満のどこに誇りを組み立てていくのか不安にもなるのですが、しかし兎にも角にも、不満を持っている間は多分大丈夫です。美意識が残っている証拠でもあります。心が折れないように注意しておけばいいのです…。
研修期に得ることのできる突き抜け感ってけっこう軽く見えがちです。でもそれでも、けっこう強いものなのです。
 
続きます。
 

「物学ぶどいうごどは必然どすてそごさ誰がすら師がいるごどになります。
今現在、若手見るごどに、昔の師のお顔思い浮がぶのでありますて、それど共さ、師ず発音さ深ぇ意味ど厳すくもぬぐぇ韻律感ずますす、ゆどりどいう広ぇ概念もまだ浮がんでぐるのであります。
少なぐども小生は幸せだったのでござるべね。それぞれの師の学びには…、もぢろん師どすて思わねごども多々あったが、後々さ同期ど酒傾げ語るだげの愉すさがあったす、つえらぃだ具体的な模範小生の中さ今も生ぎでらど嫌々ながら懐うごどもでぎるのだ。僭越ながら、そごさは師超えだどいう確がな突ぎ抜げ感、つまり教育の場どすて成り立ってあったどいう実感がある気がいだすます。
そえでもあの当時は、師さ対すて、合成革被ったようなボヤぎど文句は常さしゃべっておった。
特さ肉体的ずよりは精神的さ落ぢ込む時なんぞは同仕様もねのでありますて、すかもそった時さ限って、もどもどおすごどずものはつまんねもの、自分ば犠牲にすべぎ厳すいもの、そのように師がら定義されるものだはんで、わった噛みづいだ恥ずがすき思い出もあるのでございます。
ばって、師超える突ぎ抜げ感だげは心癒えただね。小生の歴史があだがも日本の歴史になったがのように錯覚するごどもありますて、むすろそんきで生ぎであった感もありますが、まあ結局、そういったごどよぐよぐおべでら年の近ぇ師(?)が沢山いだごども一づの要因であるべ。そった世界過ごすたごどに、遅ぎに失すながら感謝すてと思うのだ。
小生も今や師ず齢ばって、臨床での師ずものは、自身のへなが磨いで、ただただ、いががわすさど功名心ず老醜醸さねようにするだげで十分だど思います。今更ながら、実さ簡単なごどであった」

 
追伸: 次回からは研修期のお勉強について具体的に硬いお話をいたします。ですから、お楽しみのところ大変申し訳ありませんが、我が愛する弘前に関する写真とトボけたコメントはこの間お休みさせて頂きます。