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コラム

文化 その十三 若手の生態⑦ 教育-3 罠

手術室は治療の場です。もちろん教育の場でもあります。
治療の場であれば、チームとして行い得る最も高いレベルの手術を提供することは当然です。
最も高いレベルとは、皆が描く手術の理想を言います。これは患者さんが最も望むものでもあります。むろん執刀医は、その理想にふさわしい技術を飽きるほどに考え、執刀医としての役割を果たすのです…。手術という看板を掲げている限り、この努力は手術人の義務であります。
一方、教育の場であるとすれば…、[最も高い理想レベル-個々人の実力レベル]、この方程式で得られる値を、職種を問わずゼロに近づけることでありましょう。小児心臓手術の質は総合力で決まることがその理由です。またこのことは、当然に執刀医を助けることになります。
いずれにしろ、手術を一つの大きな流れと解釈して、各々の若手の立ち位置を十分に把握し、一人一人の顔を見ながら「理想上げ」をすることが肝腎と考えます。

さて具体的にどうするのか? 
結局のところ、若手が過ごす研修期の価値は、その理想レベルの追求にあります。だったら、ピンポイントで罠に嵌めてみましょうか。
つまり、一人の若手の理想に合わせて手術の流れを作るのです。言葉を替えれば、手術の秩序を残して、その上で手術を演出するということ、もっと言えば、依怙贔屓してでも一人だけを見つめて手術するということ…。特に、手術室のロートル組が皆一様にそういう気持ちになれば目っけもんですね。一気に教育という質が上がります。もちろん、飴と鞭は縦横無尽に使わさせていただきます。
でもまあ基本的には…、つまんねえ顔している奴がいたら何とかするのが手術人の心意気ってやつでございましてね。壁も無ければ鍵も無し、来る者皆んなウェルカム、とにかくお腹いっぱいにして帰らせよう…、ある意味、お節介の極みともいえる緩和心でもありましょうか、実を申しますと、これは有史以前からの、榊原手術室の鉄則中の鉄則であるのです。
あまり否定的なことは申したくありませんが、「それでは皆さん、今から手術を行います。どうぞご自由に観ていただいて、後は教科書でおさらいして下さい」、「アンタはまだ若いから参加してはいけません。まずはマニュアルをじっくり読んで下さい。コウ考えたら駄目ですよ、アア考えても駄目ですよ、云々カンヌン」、少なくとも、コンな教え方では如何なものかと思いますね。そしてまた、すぐに別の部署に移ってしまうようなシステムも勘弁です。暫くは一緒にいないと何も始まりません。
今の今まで、この鉄則を頭から無視した場合には何かしら問題となったような気もいたします。

若手には、「自分自身の理想を高めるために修行する」、そういう気持ちにさせることが大切だと思います。
そのためには、管理者が全てに対して、本質論で「違う」と言えるかどうか、まずは肝要でしょうね。全てを満足させようという不可能な希望を持ち過ぎるが故に、誰をも満足させない結果とならないよう、手術中の若手一人の理想を上等かつ綺麗に擽るのであります。そうしますと、手術室の中には、手術の魅力に加えて、個々人の魅力もまた漂うことになるのです。
はて、個々人の魅力とは何でしょう? 
敢えて言うなれば、あいつの言うことだったら聞いてみようかとつい思ってしまうことでしょうか。
そういった環境では大変不思議なことですが、矛盾が矛盾を産むということはまず無くなってしまいます。ついでながら、緩和の仕方を覚えるっていうおまけもついてきそうな気もしてしまいますしね。

手術というものはある意味美的作業であります。ですから当然に、仲間たち一人一人の考えや所作もまた、美的作業として捉える必要があるのです。自己を美しくする訓練を少しもしようとしない輩が教育を宣う、そのような田舎じみた東京にならないよう、上司たるものはもっと筋目に生きてみましょう。

続きます。

「ついづい振り向ぐ習慣は今も治らねね。兎にも角にもわんど、無駄話する無駄な時間大切にすてらのさ。それは危険な世界さ身沈めるようなものなんだ。今まで何度そった時間すごすたが、何どまあ幸せなごどが。今宵は朝までふざげ合おうぜ、気障なセリフでな。そうすねど何だがいだわすいじゃ」