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コラム

文化 その十二 若手の生態⑦ 教育-2 五里霧中

何度も申しますが、外科医人生において、自由で責任が少なくその殆どをタラレバで過ごせるのは研修期のみ、研修医はその中で、自由の意味と責任の意義を見つけるのであります。
だからこそ研修医という存在は、たとえ手術人という集団の末端中の末端であっても、その立場から「批判」する気持ちを持つべきですし、「尊敬」するという姿勢もきちんと取るべきであります。結果、その立場の独自性をもって何かを吸い取ることができるのです。
ただ、そう申すことは簡単ですね、現実的にはけっこう難しい…。研修期を抜け出す道のりは遥かですし、しかもその先には手術三昧という狂気の季節が待っています。
はてさて、研修期に、何か心しておくことはあるのでしょうか。

研修期というものを改めて考えてみます。
研修期には、外科医にあるべき思想は中々湧きません。ただただ煌びやかな光と淡い色彩を纏う憧れが漂うだけ…、でもそれはしょうがありません。道徳観や緩和心といった人間学的な思想なんて高校や大学ではこれっぽっちも教わりませんしね。もちろん教えられてもむしろ迷惑な先入観となりそうですし…。
そうですね、それらは外科医になってから慌てて探しまくるものなのでしょう。それとも生まれながらに持っていなければならないものか…、いやはや外科医であって外科医でない、医師であって医師でない、何かしら本来のものが欠けている…、もちろん気の弱さ故に、「そのうち何とかなるだろう」という達観もありゃしない…、そんな感じですね、研修期とは。
もちろん後々に思えば、あのタラレバ期には多少の感謝もあります。
しかし、この時期さえ過ごせば次に繋がるという漠然とした願いと、そうでは駄目だという自身への叱咤激励が交錯しながらただゆるりと流されていく…、外科医としては少々の手術経験があるだけ、心はあくせく焦りまくるだけ、そこに限定した志を見つけることはたまたまの偶然、それでも衝撃となる面白さがたまにヒュンと飛び出てくる…、そんな感じでもありますね、研修期とは。
いやはや、研修期は微妙に五里霧中ですね。他に何があったのだろうかと、いや、何かあったはずだと思いながら今これを書いております。それは単に、自己研鑽というよりは傾斜一辺倒の、一種独特な感動を得るだけの時期だったのかも…と思ってしまいます。

ああそうだ、傾斜一辺倒で一つだけ思うところがありました。
教育の場において、「批判も尊敬も同じく良しとすること」は当然に大切であります。でもそんな環境は、承知でも不承知でも誰もが持つ理想です。何処かに転がっています。それよりも臨床的には、「批判が尊敬へと傾斜していく」ことの方がむしろ好ましいと思うのですが如何でしょう。
何故なら、経験で恐縮ですが、「ああ、やっぱ良かったな」と後々に思い出せるのは、「批判から尊敬へと傾斜したこと」ばかりなのです。これは不思議です。確かに、研修期のその思い出だけが、始まったばかりの手術三昧期の粟立つ心を均してくれましたし、今現在でも、胃の奥底まで沁みわたるというか、打ち負かされてしまうというか…、大変不可解な感情をもって鮮明に浮かび上がってくることなのです。

これはあくまでも想像、いや妄想ですが、その理由としては、尊敬へと傾斜した事柄の殆どが、相対峙しての会話、もしくは物真似によってできたもの、つまり、活字や画像を介していないことにあるのかもしれません。
活字や画像は利用するだけの存在です。そこに尊敬へと傾く意志は生まれそうにありません。あまりに文明と仕組みがきっちりとした、つまり便利な環境では、逆に心を動かすエナジーそのものが停滞してしまう、どうやらそれと同じに思えてしまいます。やはり、生身の人間が放つ力は大きいのです。
あの当時の研修医たちの思想は、それこそチャイルド、チキンのビビリでしたし、昔の色恋沙汰を自慢する爺いほどの信憑性しかありませんでした。しかしそれでも、たとえ頭骨と舌元だけでの議論となろうとも、その意気込みだけは持て余す位に熱かったのです。

読者の皆さま、結局のところ、今の小生の頭も五里霧中ということです。研修期の教育って本当に難しいですね。
しかし何やかんや言っても、研修期の教育というものは、独りの医師の「育て始め」という観点で未熟であってはなりません。当然に、研修医の懐いや野望という精神の育て方が上等と思われなくてはならないのです。
僭越ながら今の小生の仕事は、そんな文化を守り伝える家刀自らしきものであります。
どんなそしりを得ようとも、給料を下げるという勧告を受けようとも、それが今の小生の大切な仕事だと笑い飛ばせる位の努力が必要です。そしてそれはもちろん、後世の批判に耐えうるものでなければならないと覚悟しております。

『どうせあんたらは何―んも知らんさかいな。ただ自由で責任は無いんや。だから当たり前なことを見せてもしゃあない。単に思い出になっても詰まらんやろ。そう思いますやろ。そやから良くも悪くも、たった今ワシが一番オモロいと思うことをやってみせよか。もちろん退屈はさせへんで。ある程度は手術三昧に入るまでの道は作ってあげるよってな。
せやけどそのかわり、今は兎にも角にも頑張ってくれるか。後はそこから何をすべきか、自分で答え探してくれるか。今後あんたらに訪れる手術三昧のために今何が大切かを自分で考えてくれるか。悪いけどそれが外科医の当たり前やさかいに、かんにんな…』
言わずもがな、この研修期で全てが決まるとは申しません。ただ、あまりにも早くこの時期を卒業すれば多少の問題が待ち構えているのは疑い無き事実でございます。小生はこの研修期、ナンと4年10ヶ月という長―い月日が必要でありました。(もちろん、この期間は退職金に加算されませんでした…)。

続きます。

「読者の皆さま、おはよごす。めぐせこどではありますが、わもこぃで二度目の出演、頬の熱感は前回よりやや落ぢ着いでおります。だばってそれよりもなによりも、まだ奴がひろさぎに来るらすいだね。その内さ永住すたりすて。愉すみど恐ろすさ半々だばって、まあそれも一興だびょんな。とごろで、いづのごどだったげな。わー小路で昔づい振り向いでまって、何軒がハスゴすてまって、それ以来出入り禁止になったのさ。とごろで、あの寿司やの親父はわを許すてけるだべが…、心配なんでございます」