文化 その七 若手の生態③ 謀反
「近頃の若いモンは…」、
この世界で長年飯を喰っていれば何万回と…、いやそれは嘘です。でも間違いなく何百回は聞いた台詞ですね。聞く度ごとに、「外科医は一億総老人化か?」と突っ込みたくなってしまいます。
しかし、そう言われ続けた経験と、そう言い続けた経験…、脛に傷を持つ我が身としては少しだけ声を小さくせざるを得ません。確かに、そう言われる素養、そう言うだけの現実があったことは歪めない事実なのであります。
小生が「近頃の若いモン」だった頃、「昔に若かったモン」からよくそう言われましたね。
ただ言われましても、それほど堪えるはずもなく、「何がジャ、誰かじゃ、自分もチョイ前は若いモンやったやんけ」などと、その都度に常識的な反発をやらかしてしまいます…。
そうです。そのような訳ワカラン、無責任かつ対象を限定しない漠然とした空言に対しては、無責任、堕落、自覚も病識も羞恥も無き新人類…、そのような近頃の若いモンの特性を持って反発しても許されるのです。遠慮する必要はありません。
がしかし、もし…、もしもですよ、近頃の若いモンとしての素養と現実に若干でも思うところあれば、つまり、後ろめたさという「反省」を懐う場合には、ほんのちょっぴり考えましょうか。これは逆にチャンスです。
その反発の思いを心の片隅の出来事として外には出さず、外面的にはウケと笑いで済ませて、少しだけ熱を込めて優しく育ててみて下さい。
実を申しますと、この心の片隅での反省と低温沸騰(反発心)、これこそが研修期最大の一騒動を引き起こすキッカケなのです。それを一言でいえば「謀反」…。
もともと、職人的な仕事の進化は反省と謀叛から始まります。世の常であります。
それは師匠の呪縛から抜け出すための順番が巡ってきたということ、もう少し分かりやすく言えば、師匠の着ぐるみが心底恥ずかしいと思うようになること…、脱皮を迎えたということであります。
しかし心することとして、「近頃の若いモンは…」という発言を同世代全体の責任としてしまう、つまり自分の責任としない間は何も起こりません。自らの反省とするから、心の片隅は羞恥を持って熱を帯びるのです。
そして近頃の若いモンも昔に若かったモンもその時を見逃してはなりません。
ただ、小生が近頃の若いモンだった頃の低温沸騰…、その理由と中身を思い出そうとするのですが、これが中々浮かばないのであります。
術と心の成長は自分一人で叶うはずはありません。それはすべからく当然に、謀反の対象となる「昔の若いモン」がいるから発生するのであります。しかし、今ではそれが誰であったのかさえも、いやむしろ誰もそんなことは言っていないような気もして…。心の片隅に完全にロックされているのか、あるいは、あまりに恥ずかしきこと故に脳が拒否するのか…、そこには多分、かなりの後ろめたさと都合の悪いことが野積みされている気もして…。
近頃の若いモンの記憶は恩知らずにも消え去っていくのもまた常なのでしょうね、恩の宿命というものかもしれません。
でもそれでいいのです。
昔の若いモンには、近頃の若いモンの謀反が初々しく見えているはずです。その成長に対して、自然に湧き出るサティスファクションの気持ちを抑える必要はないのです。
今現在、幸せなことに、研修医(近頃の若いモン)の成長を色々と感じることができます。それは個々に様々な色彩を放ちます。
ですが、と同時に、「そんなものが成長なのか?」、そんな疑問もまたその都度に湧き出てきますね。でもこれまたそれでいいのです。
そんな時はついついでも「近頃の若いモンは…」と叫んでみましょう。そして凝りずに謀叛人の衣装を一枚一枚着せましょう、上手くいけば晴れて極悪謀反人の一丁上がりです…。
いやはや手術の修行においては、これほど正統かつ面白き歩き方はありませんですな…。もちろん、これほど「昔の若いモン」冥利に尽きることもございませんのです。
すべては「近頃の若いモンは…」という発言から始まる…、みたいですよ。
さて次週、昔の謀反人としてもうちょっとハッチャケましょう。
続きます。
「実しゃべりますと、奴にかぐみ小路教えだのはわだ。ひろさぎの皆の衆、かにな…、でも奴ど飲むのはほんに楽すくて楽すくて、流連荒亡どは決すてしゃべらねばって、山頭火の気分味わえるのさ。許すてけ」