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コラム

文化 その六 若手の生態② 形

研修期とは何ぞや…?
もちろん今思えばの話ですが、それは責任という荷重とは比較的無縁の世界であります。「とことん客観視のタラレバ時代」、自由過ぎる時間を過ごすことができるのです。
しかし、責任が少ないということは全く信用されてないことでもありまして、そんな時こそでございますね、狙いすましたかのように突然厄介事が降りかかってくるのです。
ですから研修期とは、その研修医ゆえの自由さとその不自由さを、そのバランスを取りながら荒波を乗り越えていく、そんな試練の時期でもございます。「やさしいことからコツコツと、手取り足取り教えて下さい」、そんなことは言ってられません。

さてあの当時…、研修医たちはその時をどう過ごしていたのか、
その点、小生が遊び人と名付けた奴らには、のっぴきならずの共通項があったのでございます。

何はともあれ、奴らは見た目を大切にします。
「外科医は白衣がよく似合い、かっこ良いと言わればなければなりません。外科医らしい身体を作り上げるのです。まずは手術に必要な筋肉を鍛えましょう」などと宣うのです。しかも、「鯔背な輩が手っ取り早く外科医になれる」、そんな民間伝承を信じ切っておりまして、まずは兎に角、すべてに形から入るのでありました。
もちろんその容貌は医療小説や医療ドラマの主人公には程遠く、品格という言葉もまた遥か彼方に縁遠いもの…、しかしその分、オシャレ理論に関しては葉月の蝉なみに五月蝿うございましてね、誠に難儀なことでありました。
がしかし…、この五月蝿さは寝耳に水的に大切なことであったのです。
小説やドラマってものは、人間があらゆる意味で合理的というか理想的というか、それこそ絵に描いたような餅として手本にできる世界…、そう思うこともできますよね。例えそこに洗脳があったとしても決して悪いことではないような気もします。翻って申せば、外科医は人目にさらされる間だけでもドラマの中にいるような存在として振る舞うべきではないかと…、要するに小生は奴らにそう洗脳されてしまったのであります。
確かに患者さんからみれば、そんな若手でも一端の医師なのであります。まずは見た目、それだけでも患者さんに与える好印象は流石に花の都東京でございましてね、それなりの現実的かつ客観的な安心感を醸すのでありました。妄想できる外科医は、それだけ役になり切ることが出来るのです。

それにしても奴ら、全く持って掴みどころがありません。呆れ果てるほどにナルシストどもの多いこと多いこと、限り無いのです。
がしかし、そんな中で過ごしておりますとあら不思議…、手術をしたことのない外科医であるにも拘わらず、もちろん頭の程度と見た目は鍛えようもありませんが、徐々に徐々に、「口だけは達者、外科的には頭がいいね」と言われる手術人になっていくのであります。
そうです、例えばこんな風に微妙な成長を見せましたね。
『手術以外のことではあまり悩まない、手術の面白さをろくに知らない奴に言い負かされる訳が無い、求めるものは倫理観のみ、手術以外の事柄を中心とするのは横着である、伝統を何一つ変えないのも勇気だ、思い出に浸って無意味に泣いてもいい、好きな言葉はさすらい、妄想夢を騙り続けるのが男だ、自分の結婚式で「君といつまでも」を涙唱するのが男だ、失恋の数をドヤ顔で自慢するのも男だ…』、等々でございまして、止めどなく面倒くさいのでありますが、とはいえこれらはあの当時、戸惑いつつも首を縦に振る掟でもありました。
「外科的にIQが高ければそれでいいじゃないか」、「何はともあれ、そこに緩和があればいいじゃないか」、そのように灯のないところにも明かりを灯そうとする奴ら…、しかしながら差し当たって外科医らしく育っていくのでありました。「見栄が転じて叡智をなす」、この合言葉は、当時の若手たちにとって永遠不滅の格言となった次第です。

早くて10年、それは外科医として認められるまでの期間、それが研修期です。
もちろん、その過ごし方は人それぞれ、けっこう辛いことはあるのですが、外科医たるものは、人間的面白みといいますか、他人を安心させる空気といいますか、愉しみながら幾つかの価値を感じる、つまり患者さんと同等の接点を何かしら早めに見つけることが大切です。それは、研修医だけが持てる緩和心と言っていいのでしょう。
結局のところ、何らかの価値は何かしら感じた人しかわからないし、感じなければ経験しようもありません。研修期には、外科医として生きるための手段、というよりは、より早く大人になるための人間の生き様…、そんなものを垣間見ることが肝要と考えます。
小生自身もまた、奴らのせい、いやお蔭様というべきか、緩和ともいうべき外科医的に大変現実的な文化を実感したのでありました。

さて段々と、あの当時のことが思い浮かんできました。またもや飛び飛びに次回、研修医の性癖についてお話をしましょう。
…続きます。

「奴ながながい男じゃねか。中三のあのすり鉢屋根にはどうやって登るのが、そった質問ここの職員にすちゃーらすい。多分、脳がら何がが抜げでらのだびょんが、流石は岩木山登拝断念神のせいにすて諦めるだげのピュアな感性があるな。そった純粋な気持ぢ持づ輩にそったらにわり奴はいねぞ。わっきゃむすろ好ぎだげどな」