文化 その四 上司
「そこだけに在る具体的な技量を産んでいる、そして持続している、そんな気がいたすのです」、その一で申したことでありますが、外科における緩和は不思議と、巡り巡ってさらに「術」を成長させていくのです。
ただそこには、普遍の順番があります。
総合的な緩和を有する環境では、まず若手が根本的に変わります。とても気の利く可愛い奴になるのです。
そうしますと、何故か上司が変わっていきます。微妙に浮かれた少しだけ良い奴になるのです。
そして上司がそんな風に変わることで、術を中心にチームそのものが変わります。何故か和気藹々、執刀医を心から労ってくれるのです。
そんな都合の良い順番であります。
例えば、何とか頑張って上司と同じ速度で飛ぼうと努力する、そのような若手を嫌になるほど見ていますと、たまに気づくことがあります。若手は、若手なりに手を変え品を変え、上司の手術の表情を少しだけ変化させようとするのであります。
多分に生意気感を憶えるのですが、それはあたかも、二番だしを無遠慮にブチ込んで、旨味も渋味も濃く豊かにさせるようなもの、
でも、そんな時でありますね。上司として何故か確かに、一個だけ上等な手術ができるようになるのです。
上等とは何か…、そうですね、分かりにくく言えば、緩和という文化が術を進化させて良質な遺伝子を残す、そんな手術であります。
そしてさらに、実に悔しくも嬉しくもあるのですが、上司はそんな時代をチームの皆と過ごすことで初めて、「唯一無二の外科医となれそうか…」、そんな荒唐な妄想も湧いてくるのです。
上司たるもの、上に立つから上手くなる、上に立つから楽しくなる、若手の緩和的な成長を一つ一つ理解することで、上司はとても楽になります。烏滸がましくも、そんな手術ができ始めるのも上司の特恵であります。いやむしろ、そのために上司時代があると言っていいのかもしれません。
上司にとって、若手と共に作る緩和環境はとても大切であります。
その際、上司としては、変わるべきでないものだけ取っておいて、若手が変わることだけをはっきりさせておく…、そんな概念性でちょうどいいと考えます。それもまた上司としての若手への茫々とした緩和になります。概念的だからこそ、文化として生き残っていくとも言えるのです。
このように、若手によって、上司およびチームの手術経験が相乗化していく環境、そこには、他人からの抑圧という抵抗はありません。流れの美を育てる何かしらの機能美があるだけです。上司と若手の輪廻と言うべきでありましょう。
何度も申しますが、この緩和という文化無しに、手術は成り立ちません。逆に言えば、文化が無いから必然的に色んな問題が起こるのかもしれません。
外科的な緩和の特徴は、手術室の歴史という立場で現在を診るという伝統であり、今でも歴史を磨いて重ねようとする仲間たちの努力であります。その全てが客観的かつ愛他的であるべき、一言で言えば、窮屈では無い環境を作るのです。
ですから、この大切な緩和という文化に亜流を重ねてはいけません。多分に余計な効果をあげようと余分な材料を加えてもいけない、功名心という別の色を置いてもいけない…、ただただ、今ある緩和という文化を、より上等なものへと進化させることに尽きるのです。
次回はほんの少しだけ、昔の若手についてお話しようと思うのですが、多分長くなります。
続きます。