文化 その一 文化らしきもの
もともとお酒に関しては不調法でありましたが、このところ殊更に無調法となった次第です。どうやら、酒量的には、青二才という分類で人生が終わりそうな気配であります。
さて最近のこと、医学に限らず、色んな処で色んな人とお話させて頂いております。
その多くは全くの与太話、せいぜいもって無駄話というもの、
しかし少しでもお神酒が入りますと、会話中の思考が突然に揺らぐことがありまして…、
そんな時でございますね、ふと何故か、その人だけ、もしくはその場所だけに附帯する「文化らしきもの」を強烈に感じてしまうのです。
それは多分に無駄話し故のこと、自分的にはそう納得しているのですが、これまた最近、何故か気になってしょうがないのです。
はてさて、その文化らしきものとは一体何ものなのか?
それを敢えて安易に申せば、そこに染み付いた緩和の伝統もしくは緩和の慣習と言うべきもの…。
そうですね、そう表現するしかなさそうです。極めて日本的なものであります。ただそうは申しましても、それは画一的なものではなく、また、「そうあるべき」という思想が持つフィルターもありません。人への思いやりとか心が和らぐというような表現だけではとても描写できないのです。何だかな…、日本人の小生がまるで異国の人ではなかろうかと錯覚するほどに純和風なのであります。
その緩和の心というもの、妙なまでに、その人に、そしてその場所に、とても似合っています。要はとてもカッコいい。もちろん、多少は胃弱気味に思うこともありますよ。でもそれはあたかも真夏の西瓜の匂いの如く、喉の乾きが癒やされるようで大変心地好く、それぞれに独特の色気も感じ取ることができるのです。
何故にこんな思いが起こるのでしょう。
そういった緩和的な気が流れる処では、その施設全体の質が高い、もしくは、そこだけに在る具体的な技量を産んでいる、そして持続している、そんな気がいたします。創意工夫という歴史も、そこらへんに潜む気配がございますね。何もかもが職人の仕事っぽく、自分に対してはもちろん、仲間への自信と信頼もまたそこに在るのです。
そして何よりも、そのような空間では、「関係の質」そのものが上手く調和しています。いや、そんなハイカラな言葉を使う必要もなさそうです。つまり、それは流行りの型ではありません。文明の利器とか、時流への軽すぎるノリといった揺れそのものが無いのです。
小児心臓外科学は、「人と繋がる」、そんなことを大切にすべき学問であります。
もてなす立場の外科医として、手術を受ける赤ん坊と親御さんに対しては、「初めて出会う」からこそ緩和を大切にしなければなりません。特に母親は、より緩和を考えるべき存在であります。
もちろん、医療者仲間への緩和も考えます。特に手術はチームで行うもの、かなり辛いこともありますから、特に若手の緩和については気を使うのです。
大変極端なことを申しますが、
この緩和無くして、手術は成り立ちません。逆に言えば、緩和が無いから、色んな問題が起こるのかもしれません。
ああそうか、各施設が大切にしてきたそれぞれの歴史的な緩和、それを文化らしきものと感じるのでありましょう。外科医的な秩序美と言っていいと思います。
読者の皆さま、
いやはや、どうにもこうにも成長無く…、自分の心の文字変換に相も変わらず難儀しているのでございます。
ただ申しましたように、お酒は今や無調法でありますので、このふと感じた「文化」という思いは決して、外科医固有の妄想ではなさそうです。
続きます。