おはなし その二
「今日は小生が聞きたいお話しだけしてくれませんか」、そうお願いするのは我儘の極地でございましょうね。講演会の時間対効果に関する現実的な思いが重なりますと、ついそんなことを考えてしまいます。
さて、最近の講演会というもの、やはりこの時代の為せるところでありましょうか、
「感涙を誘う貧しい生活、影響を受けた先人の格言や行動、運命ともいえる人との出会い」、まずはそんなところから始まりまして、「人生の転機、悲しき恋と葛藤、奢りへの反省、そして復活と現在の演者…」、そのような流れのお話がとても多うございます。そんな時の小生は、大変失礼ながらも、演者に“おしん”の衣装を着せてみたくなる衝動を抑えきれないのであります。
しかしながら、そんなミラクルでサクセスな物語は、例え九分九厘自慢話であっても大変に興味深く、これまた失礼ですが、演者の人生というよりはその性格を深掘りしてしまいます。落語の人情噺、小説の都立水商とドスコイ警備保障、そして何故か、清水の次郎長さんまでをも想像してしまうのでありました。
がしかし、そんな講演では、さらに失礼にも、非科学的な疑念が湧いてまいります。
その一つは、ミラクルの要因、
つまり、先人のお言葉や偶然の出会いが本当に、演者の“おしん物語”の肝になったのかという疑い…。
そうですね、普通だったらまず、近くの鎮守さまが何とかしてくれたと考えますよね。もちろんご先祖さまが「回れ右」と号令をかけた可能性もありますしね…、預言者や占い師には相談しなかったのでしょうか。そんな疑念が出てくるのです。
さすがに、非科学的なことは公に喋れません。もちろん嘘もいけません。
ですが、霊とかスピリチュアルとか宇宙人とか、あり得ないと思うことがむしろ不条理なのでありまして、ましてや、鹿さんと亀さんには随分とお世話になった歴史をもつこの日本でございます…。
しかも、想像しますに恐らく、「神も仏も無いものか」と嘆いたであろう“おしん”は、間違いなく毎日神様に手を合わせていたはずであります。
そしてもしかしたら、聴衆の皆さまの中には、神社仏閣関係の方々もまた、お出でになっているかもしれません…。
従いまして、「目に見えない何らかの力が働いたかのよう…」、演者は、それくらいの比喩を使ってもバチは当たらないのでは…、ついついそんなことを思ってしまいます。
しかし一方で、そんな講演では、確信も生まれます。
つまり、男としての矜持を演者の瞳の中に垣間見ることができるのであります。
新たな考えを一途に思い続けることで現実を変えていくことの重要性…、
一方で、現実は現実としてひたすらに受け止めながら現実を変える重要性…、
そして、当たり前にある既成事実や象徴を唯一絶対なものと考えず、揺らしまくって現実を変えていく重要性…、
要は上司や権威との喧嘩でありますが、やはりこれらは重要だと思いますね。どんな職業であっても、若手が成り上がるためには避け得ないことであります。
聴衆の皆さまには今の今まで、何故ゆえに多くの演者が、自分の物語をこれほどまでに熱く語るのか…、
「恥ずかしくないのだろうか、ドン引きされないのか、あの皮膚の厚さは何mm?」などと思われたこと、多々あったのではないかと存じます。がしかし、“熱さ”にはそういった裏話がある故のこと…なのであります。
しかし、翻って考えますと、だからこそ逆に、演者には最高に傷つくことも多くあったのでしょうね…、
自身を癒すために喋る…、これまた、演者の話っぷりの中に垣間見ることができるのであります。
成功者は大変に傷ついたそれぞれの過去を持つ、だからこそ、羞恥なく自分の物語を語ることができる…、
そして、その物語は、バーチャル的に視聴者を癒し、そしてUターンして超現実的に自分を癒す、いや違いますね、演者は心から癒して貰いたいから語る(騙る)のです…。
それこそが、そんな演者だけに許される、“NiziU”と“E-Girls”の耳ダンボ講演、そう断言してもいいのでありましょう。
揺らしまくりの人生物語には、「自身を癒したい」と願う演者の健気さ、そして一方では、「癒やしてもらおうじゃないか」としゃしゃり出る視聴者たちの高飛車感…、そんな年の功ともいえる大人の雰囲気が会場にまったりと漂います。
例え、講演の内容が詰まらなくても、あからさまな銭話であろうとも、そして、見るからに性格悪そうな喋り方と似合わない蝶襟締であったとしても、
「この爺さま、こんなことをずーっと考えていたんだ。可愛いーい」、なんていう感慨もまた、ふと浮かんでくるのでございます。
続きます。