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コラム

おもたせ 第二幕

東京での外科医生活も丸まる40+1年となりました。
今まで多くの若手外科医と共に過ごしてまいりました。それにしてもまあ文字通りの十人十色、色んな色合いの輩が存在したのであります。
誠に失礼ではありますが、永遠の小春日和と称される小生でさえも、
「コイツ何だかなあ」って思うこと、正直多々ありました。「コイツけっこう高橋好みの阿呆やぞ」と思うことも目一杯ありました。また、頭の中で挨拶もなくすれ違うという感覚、これが‘’ジェネギャップ‘’というのでしょうか、これまた屡々あったのであります。
とは言え、そんな若手も、一年も経ちますと晴れて相当な変化を見せてくれます。酸いも甘いも噛み分けたベテランの上司を、妙に納得させるというか、説得させる半生意気感が増えてくるのです。
例えば…、
外科医の修行は殆どが‘’ものまね‘’、そこから始まるのでありますが、「コイツのものマネは何だかオリジナルよりクセが強い、怪しいんだけれどオリジナルより怪しくない、嫌らしさ全開なんだけれどオリジナルより嫌らしくない」、そんな予想外のモノマネ上手がいることも事実なのでありまして、
衝撃を受けるとまでは行かないものの、正直驚いてソワソワしてしまうのであります。
このこと、よくよく考えてみますと、若手が小生自身の何かしらを変えようとしているのかもしれません。しかも、奴らが変化するごとに、小生もまた小刻みに変化していくのでありまして、実に奇妙な感触なのであります。
もちろん、チームとは本来そういうものなのでしょうね。でもそれはある種の、若手からの特別なご褒美…。
大変不思議なことではありますが、一旦そう感じてしまいますと、最近とっても自由気味な小生でも、年齢の割には楽な気分で歩けるようになりますし、少なくともケチな気分にならずに過ごせるのであります。パッションという言葉だけでは物足りない…、そんな幸せな気分になることもまた事実なのです。

さて、小生に取りましての師走というものは‘’とどの詰まり‘’、
そんな風に若手から貰ったものを、『お持たせ』として如何に返すかを考える時分でもあるのです。
それはある意味お近づきの証、そしてお別れの印…、
この時だけは、様々な懐いが一気に膨らむといいますか、自分だけが自分自身にアドバイスできる存在と確信するといいますか、それとも、来年もまた、別種の生き物として生きていく覚悟が決まるとでもいいますか…、
昔に悩んだことが、実はとんでもなく贅沢なことだったと改めて実感できるのです。

そんなかんだで、かれこれ40回もの師走を乗り越えた小生…、今宵は、アクターというより大物プロデューサーとして一年を締めくくる格別な盃を傾ける…、ついぞそんなことを妄想してしまいます。もしも若手が、今後も同じ思いを持って、小生からのお持たせを少しでも感じてくれるのであれば、いつかまた同じ意慾で繋がることもございましょう。
かくして、一年という隔たりの中の出来事がすべて綺麗に流される、そして、「若手と和する」という懐かしさを憶えながら「思い・走り・巡る」…、それが外科医の師走(思走)というものなのでございます。

それでは皆さま、今回はここらで早めに失礼いたします。ご精読、誠に有難うございました。良い師走をお迎えください。

題 「GODZILLA、府中に降臨」