手術室 特別番外編 愛情②
「手術室」についてもう少しだけ話します。
申しましたように、小生は他のご施設の手術をあまり見たことがありません。ですから、手術の違いというものを詳細に説明することが不得手なのであります。
しかし、自分の手術におきましては、同じ手術であってもその差を感じることができます…。味わいの違いが微妙に解るのです…。
でも、何故ゆえにそんな感情が出てくるのでしょう?
この齢になって思いますに、どうやらその要因は、手術に対して、私利私欲無しのお節介ができたかどうか、より羞恥的に申せば、そこにチームとしての『愛情』が足りていたのかということ…。
そんな自己陶酔的な「懐い」の差が、手術そのものの微妙な違いを生み出している、何だかそう思えるのであります。
でもまあ確かに、こんな思いは妄想といえば妄想、この程度で限界とした方が良さそうであります。
しかし、手術を重ねるたびに、そして妄想を重ねるごとに、自分の中の殺風景な部分がよく分かるようになったことも事実でありまして、人間は、日常に隠された“細々な美”に感動させられるもの、そしてそれ故に、妙な努力をするものなのでありましょう。
元来、手術室は、「懐い」の振り幅がとても大きい世界、ですから、そこには最初から、自由という大きな空間が存在します。
そんな空間に、チームの素晴らしい気が満ち溢れ…、個々人の心持ちまでもが思うがままに楽になっていく…、
チームこそ故に、そのような環境を創ることができると思うのです。
しかし、そうは言っても、この空間は決して、誰からも文句が出ないような、当たらず触らずの八方美人的存在であってはなりません。チームが発展途上であればこそ、「これは一体、何なんだ」っていう驚き、つまり「心の大騒ぎ」が必要なのです。角が立たない穏便な環境での修行というものは、若手にとって面白くも何ともないのではないか…、経験上、そう思ってしまいます。
もちろん、そこにはかなり厳しい試練がありましょうね。人間関係を含め、差し障りのある出来事が降りかかることもあるのでしょう。しかしながら、今まで申してきた、「当たり前、懐い、容易さ 唯一の共感、言いよう…」、これら動かすべきでないものを大切にできる環境でさえあれば、いずれ嫌なことも「愉しんだ」という部類に組み込まれるようになります。そして、「手術を愉しむ」ということが何となく解るようになります。これまた経験上、「あるある」ことなのでございます。
この齢になったから昔を恋しがるのか、それとも実際に昔の方が良かったのか、悩ましい限りではありますが…、
「風が吹いて、青葉がそよぎ、酒も唄もあり、皆の笑い声が聞こえる…」、
手術の度ごとに周りを巻き込んで、誰かれともなく「ご縁」が生まれるということも、手術室の大切な「徳」なのでありましょう。小児心臓外科学というものは単なる仕事ではなく、人間を美しく見せる学問であり、そういった素晴らしい環境を持つ“美的風俗”でもある…、そう再認識できる時代が来ることを祈りたいと思います。
まあ兎にも角にも、自分だけの妄想に翻弄されるという愉しみは、何があろうとも捨てずに取っておく…、そうですね、いつの日にかまた、何かの役に立つのかもしれません。
それにしても、手術室を心からこのように思えること、一体、誰に向かって、その感謝の意を捧げればよいのでありましょうか。
♨♨♨
さて、この稿を“ヤツ”に送りましたところ、たった今、返信が…。
その内容は、「!!!」…のみ。
解説させて頂きます。
心臓外科医の!は、「何でやねん」
心臓外科医の!!は、「ボチボチやな」
心臓外科医の!!!は、「ま、ええやろ」
心臓外科医は悉く“縦社会”、従いまして僭越ではございますが、ゆるゆるとお暇させて頂きます。
読者の皆さま、ツッコミ感満載のお気持ちもございましょうが、ようやく晴れてホンマモンのお開きでございます。
さて、この酷暑でございます。でも小生…、今日は何だか“激辛担々麺”に翻弄されたい気分となっておりまして、銀杏並木の陰を辿りながら、甲州街道沿いにある中華料理店を目指すことにいたします。
…と思ったら、その後にまた着信が…。
『手術室の弥栄を祈る…言葉足らずの寿ぎ手術人より』
それを読んだ小生は、「…! そして…??」
それでは皆さま、ごきげんよう。またお会いいたします。