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コラム

手術室 その九 共感

「チームって…?」
この質問に対し、“ヤツ”はこう言ってのけたのです。

『そうだな…、手術室の居心地は、個々人の腕で決まると思う。何故なら、それぞれの手術力が強ければ、その分、悲しいことが減るし、嬉しいことが当然増えるから。
でも、だからこそ若手は…、
急激な気圧の変化の中に身を置くようなもの、吸う空気の密度が違うと感じているのかもしれない。

チームに大切なことは、
例え、気持ちをこじらせるような出来事があったとしても、全てが当たり前と思わせるように、チームの誰かが演じてあげるってこと…、
つまり、誰かが違和感なく、起こった出来事を良い方向へと転がせるかどうか、そう、まずはそこだな。

もちろん、最終的には、ロートルの出番さ。
懐の深さというか、いい加減さというか、前に言った“ムンヌキムン”としての役割を果たすだけ、
どんな出来事でも、後々面白いと感じさせるように、できるだけ悠長に接するんだ。もちろん、実際に動かすのは、二番手、三番手だがな。

チームの強さ、そしてカラーというものは、そんな風の繰り返しで体をなすもの…、
だからという訳じゃないが、ロートルは、何をさておいても、洗練されたギャグを秘密裏にコレクションしておかねばならない。もちろん、少しだけ多めの恥じらいも要るがな。

しかし、手術力が強いチーム故の、注意点もあるな。
その一つは、『共感』のこと。
手術室のような狭い閉鎖空間では、チーム内の意見統一は大切…、
でも、これって分かりにくいことだが、「あまりにも強い共感だと、いつの間にか弾き出される人が出てくる」…、そう、狭さ故にな。
そして、そうだな…、「手順さえ踏めば全て民主的と考える」、これもまた、ちょっと危ういのかもしれない…、
何だかそんな気がするんだ。
チーム個々人には、手術完遂のための役割と使命がそれぞれにあるはず、そして、お互いを満足させるための役割と使命もそれぞれにあるはず、もちろん手術室には、そこに託された何かしらの役割と使命もあるはず…。
共感と平等…、
当然に大事だが、あまりに過ぎると、何かが容易に失われてしまうことも、心に刻んでおくべきと思うよ。』

さてさて、損したのか、得したのかは別として、時間が経つのが遅く感じるようになってまいりました。でもそれは、いつものことです。
そうですね、“ヤツ”の手術室は、さらに1年も経てば、これまた新奇な感慨も増えていくのでしょう。確信犯的にそう思ってしまいます。
もちろん、決して楽なことだけではないのでしょう。
しかし、手術チーム皆が、沢山の人に出会うことができ、その結果に倖せを感じる…、「手術が強い」という最大の恩恵はそこにあります。
それが手術室にあるべき唯一のモチ、唯一の共感とすべきものかもしれません。

続きます。