Doctor Blog

コラム

手術室 その二 思想

小生にとっての手術室は、慣れっこというか当たり前というか、自分の家より長く過ごした場所であります。でもだからこそ、多種色の喜怒哀楽が無遠慮に染み込んでいるのでありまして、そのせいか、‘’褌を締め直す‘’とまでは申しませんが、手術室の自動扉に足をかける際には未だ少しく、構えてしまうのです。

それにしても何とまあ、ここの手術室の明るいこと明るいこと、スタッフたちの朗らかな挨拶、嫋やかに遠慮された笑い声、そして洗練された無駄の無い会話…、
聞けばこの数年、退職者はいないとのこと、狭い手術室ながらも、人と気の滑らかな導線がクッキリと見えるようであります。放たれる‘’透明に近い薄ピンクのオーラ‘’をハンパなく感じるのです。

さて、‘’かの外科医‘’が手術室に入ってまいりました。鼻唄歌いながら、手術帽被りながらの登場です。
マスク越しに見える‘’への字眉‘’、抜かりなく愛想笑いを配っております。これはどうやら見るからにご機嫌良さそう…、流石にスキップはしておりませんでしたが、高速で振り回す尻尾が見えそうな気がいたします。
そして、それと同時に…、天井のスピーカーから、かなり柔らかめに調節された音量で音楽が流れ始めるのです。

うん? 何か違うぞ。これって80年代のシティポップか?
彼が昔よく口ずさんでいたのは、吉永小百合さんの「奈良の春日野」だったはず…。というか、それだけがメロディとして体をなす唯一の曲だったはず…。

あらら? そしてこれも違う。
麻酔医や看護師との会話もまた、より洗練されている気がいたします。昔はつまらんギャグをカマしまくって顰蹙を買うことが再三だったのに…。
一体何が、‘’かの外科医‘’を変容させたのでありましょうか。
うーん、そうですね。「男子、三日会わざれば刮目して見よ」、この慣用句は⽼頭児にも当てはまるのでありました。

そして手術は終盤へ…、‘’かの外科医‘’は手を下ろしたのであります。
いやはや、それにしても、手術とは本来こうあるべきということを物語る手術でした。
恐らくですが、執刀医だけでなく、手術室スタッフそれぞれに、よほどの『思想』というものが無ければこうはいかないのではないか、そう思った次第です。そして、その思想は、手術室の空間の中にも、機能美を持って働く数々の道具類の中にも同じように宿っている…、そうとも錯覚してしまったのです。
そう、それは少なくとも、なまじいなチームワークとか機能性といったものではありません。‘’かの外科医‘’は恐らく、「手術はどうすれば強くなるのか」という、本来あるべき手術室の「要」をよく知っているのでしょう。

いやはや、意味の無いことに意味を求めてしまいました。
僭越ながら、そして悔しながら、‘’かの外科医‘’の人間性は、人間としてかなり上等なものへと昇華している、そう思わざるを得なかったのでございます。

さて、その後は当然の成り行きです。
御本人+2人(このうち約1名は既にリタイア)、ようやっとコロナが第五類となったこともあり、焼肉でも喰うかといういつもの流れになったのでありました。

でもって、某所の某焼肉屋…、
‘’かの外科医‘’は、えらく素っ気ない表情で上座に鎮座しております。手術室でのあのはしゃぎ様は何だったのでありましょう。でもまあこれはいつものこと、外科医って輩は手術室を離れますと最初の少しだけ、‘’大人しい生き物‘’へと変身するのです。そして毎回、御神酒の量と肴の質に比例して、饒舌になっていくのであります。
類にもれず、20分ほどで満更でもない表情に豹変した‘’かの外科医‘’は(以下、‘’ヤツ‘’と呼びます)、
特上タン塩に舌鼓を打ちまくったせいか、弁舌もさわやか、いつもの如く舌がスベルようになったのでありました。

さてさて、次回からは、‘’ヤツ‘’がマッコリ片手に、焼肉頰張りながら語った(騙った)ことをつらつらと書き連ねてまいります。確かに、陰で舌を出すこともありました。しかし、今思い起こしても、彼の物語は大袈裟なほどに自然であったのです。
さてもさても、またもや長くなりそう気配…、誠に恐縮ではございますが、最後まで懲りずにお付き合い下されば幸甚です。

ひたすらに続きます。