Doctor Blog

コラム

教える その二

読者の皆さま、如何お過ごしでいらっしゃいますか。
今日は何だか全身すべてが僧帽筋…、「こんなんへっちゃら」と叫びたい爽快な気分です。

さて、教育について話は進んでまいります。
「手術以外のことは全て余事である」。…うーん、そうですね、まあ確かにそういう時代があった気がします。
当時を振り返りますと、「若手を懸命に教えている」、「若手が懸命に学んでいる」…、何故かそんなガチな風景だけが心に遺っておりまして…、ああそうですね、昔はいろんなことがありました。それらの映像記憶は、走馬灯のように(二色ではありますが)、それほど悩ましい感じもせず、回り続けてくれるのです。

ただもちろん今は…、
「じゅんじゅんと諭す、そんな一所懸命さが皆さんの癪に障る…」、そんな世の中であること、重々承知しております。
また、「目顔だけでそれとなく知らせることは遠慮する」、「ちょいと詳細に説明してあげる」、これらも承知しています。
そして、「多少の折れる態度を取ることは、意外に空気が読める大人としては仕方がない」、これもまた充分に承知しているのです。

それでもつい最近のこと…、またまた突然でありました。
「見るだに危うさを感じる、だから教える。」
「もう人に嫌われてもいい、教えたいことは教える。」
このような、直線的ともいえる「決意らしき想い」、またもや懲りずに甦ってしまったのであります。そうそれは2017年にもありましたし、確かその前は2010年頃だったと思います。

その黄泉がえり、今回は多少長めに留まっておりまして、「教える」側として、改めて強く身にしみたことは、
外科医の進化というものは、少なくとも、「距離的にも時間的にも均等に進むものではない」ということ、
そして、「距離的にも時間的にも均等に進ませるものでもない」、ということ…。

そうそれは、2017年の、蒼き志に溢れたその時も同じだった気がいたします。
ある場所で手術指導を断られたことがありました。先日久しぶりに伺いましたら、あいも変わらずの状態…、なんともはや、出過ぎたこととはいいながら、大きなお世話と嫌われても、意見を押し通しておけば良かったと、心から反省したのでありました。(もちろんその時は、鼻をつく書生臭さにウンザリして、3分もしたらその蒼き志はすっかり消え去ってしまったのでありましたが…)

まあ、兎にも角にも、「教える側」と「教わる側」は、言わずもがな…、
その過程や次第しだいでは、同じ確率で、喜びにもなれば悲しみにもなる訳でありまして、
また、当然に、善意の心境にもなれば強制の心境にもなり得る…、
そしてひいては、「あの時はああでなければならんかったのだ」との自責の念にもなれば、
「あの時はこうすればよかったのだ」との非難の思いにもなるのであります…。

うーむ…、「教える」って、中々に難しいものですね。
そして…、もう既に、教わる側としての記憶はかなり薄れてしまいましたが、「教わる」ってことも、これまた思い切り難しいのです…。
後はもう、その一で申した、あの「出会い頭的遭遇の呪術性」に頼るしかないのかと、少しく、しみじみしてしまったのでありました。
でももしも、それしかないのであれば、出会い頭的遭遇を「教える」こともまた、外科医の教育カリキュラムに必要となるのでしょうか。これまたしみじみ…、何ともはや、「面倒い」ことです。

続きます。