教える その一
「うがみんしょうらん」、この季節になりますとごく自然に、あの南の島での「送り雨」が浮かんでまいります。
さて、「教育」というものは…、いや、そう言うと仰々しいですね、少々お待ち下さい…。
…改めまして…、「教える」ということは、
「教えて貰いたい事柄を胸に秘めた、教えて欲しいと切に願う若者がいること」、そして一方で、「教えたい事情を背に担いだ、教えたいと衷心に願うロートルがいること」、
それらの思いがある一定の時空で揃いさえすれば、それこそ盛大にスパークするはず…、そう考えております。
それはあたかも、夜の街での出会い頭的遭遇…、願うという呪術性が秘密めく余計な力を与えてくれるのです。
ただ…ですね、これら2つは中々に、思うほど楽楽に…、揃って弾けるものではありません。
一介の外科医が教育を宣うこと、大変小賢しいと充分に承知しております。
しかし、そのような、外科医らしく抽象化された出し物に、心を動かされるのもこれまた一興かと…、
誠に僭越ではありますが、相も変わらずの「口だけ走らせのお噺し」、是非にお付き合い下さいますよう、御願い申し上げる次第でございます。
さて、手術の修行におきましては今の今まで、
ひたすら…、ただひたすらに「若者の気付きを待つ」、
そして気づいたら直ちに、その後の進化が光速で進むよう、そして、できますれば新知見へと繋がるよう、多くのプラクティカルな仕掛け(こっちの水は甘いぞ大作戦…)を施してきたのでありました。
その仕掛け、小生手ずからの設計とはいえ、その配列と計らいは中々に男前なオーダーと自負しております。
がしかし、往々にして引っかかってくれないのです。
また、残念ではありますが、そんな時に限って、世代間格差もしくは育ちの差を痛感する隙間風が吹くのでありまして…、そんな黄昏れた日々を送る今日此の頃であったのでございました。
「お~い、ここになんか落ちとるで、誰か拾ってくれへんやろか」
そんな独り言を言いながら小生は一人、寂しく土用を過ごしているのであります。(BSで、「舞いあがれ!」の再放送を観ていたものですから、ついつい口調が…)
続きます。