Doctor Blog

コラム

高校時代 その九 Hommage

読者の皆さま、昨夜は、オマージュとパクリが口論している夢をみました。…実に複雑な朝を向かえておりますが、目出度くも最終話であります。

最近のことでございますが、それこそ度々に、
高橋のブログは、「纏めるのは難しいが、内容が内容だけに謎解きは簡単だ」、
「67にもなって…うーん、まだまだ青春してますな」、そんなご意見を頂いております。
できますれば、常にネクタイをキチッと締めたブログにしたいと思うのはいつものこと…、でも確かに、自分の文章に対して、八つ当たり的に突っかかることも多々ございますのです。

そうですね、そういえば、
手術は愉しく…、「あっちの水では掛け算で面白く、こっちの水では累乗で面白く…」、
そんなことを言い続けてきた小生は、まあ確かに自分でも可笑しい人間だと思うのですが、それでも少しはオカシくないところもあるからまだいいかと…、
能天気だか腹が括れていないのか分かりませんが、相変わらずの「物議醸し人」であるようです。
それでも、小児心臓外科医らしく生きること…、つまり大人げないってことでもありますが…、それはそれなりに、そんなに悪いことでもないと思うのでございまして、
損な褒め言葉らしき作調で恐縮ですが、少しでも皆さまに愛を届けることができればと、日々精進する次第であります。

さて、講演の場は「祈りの場」でもある、そう真正直に思う小生…、
高校生に対しては、彼らそれぞれの個性が、自然と煌めくような講演にしたいと思っています。
一方、小生自身に対しては、今までの自分の個性(殻 or Color)を溶かす講演にしたいとも…。
もし、もしもですよ、そのような、お互いに少しでも緩和し合える時間の流れというものが作れるのであれば、
そうですね…、その講演を見守る高校の先生方をも巻き込んで(騙して)いけそうな気がしまして…(…失礼)、
皆さんの明日が今日よりもきっと幸せになれる…、心からそう願う気持ちになるのでありました。

講演に関して、もう一言だけ、
もちろん、いたいけな(小生も当時はいたいけでありました)、そんな高校生には特に、
「前もって知ったらその後の人生がつまらなくなる」、もしくは、「ある経験が終わるまでは理解しない方がいい」、そのような、“前もって話してはいけない”ことも沢山あるのでございます。
ですから、注意して喋らねばといつも思っているのでありますが、
そう思う矢先に限ってちょくちょくと、
吉本系の強力なツッコミをする生意気な(…失礼)、演者の困った顔を見るのが至福の道楽ではないかと思えるような、質問慣れもしくは講演場馴れした連中が質問を投げかけてくるのであります。
ですから、講演後の質疑応答では、
「まあまあ落ち着かんといけん、それは捉え方次第だな、物は言い様とも言いまっせ、それは何じゃろか、なーんも知らんとです、ある意味気合ですね、見当もつかん、ありえん、それも上等じゃん、どうやろな」などなど、
そんな不本意な小生の返答が、彼らの反抗期をついつい刺激してしまいまして、不穏な空気がふっと漂い…、
そしてまた、
「なんやかんや思うことがあったとしても、それがいいのか悪いか…、いやそうではなく、かっこイイのかワルいか、それだけを判断して下さい。」
そんなボヤかしのウッカリ答弁に対して、会場が大騒ぎになることもございますのです。
高校生への講演って、今更ながらけっこう難しい…、神経を使うのです。

そうですね、「子どもじみて喋ること、大人びて喋ること」、外科医はいくつになっても、このバランスを取らねばなりません。
あまりにも多くの経験を重ねすぎたせいで、大人びた態度を取ることが、かえってカッコ良くないこと、当然ありますよね。ですから、経験値が増えれば増えるほど、外科医には諦めるべきものが出てくる…、このこと、ちょっとだけバランスを取りながら考えておくことが必要です。少なくとも、プロとして、やれると言ってやれないことほど、恥ずかしいものはないのです。

いつも思い…、そして考えます。
手術ってものは、一人で野垂れ死ぬことを選ばせるほど魅力的なものなのだろうかと…、何故かそんな疑問が湧いてくるのです。
でもそれは、手術に全てを賭けてきたという覚悟というよりは、愉しくて、ついずるずる続けただけの、だらしない外科医のなれのはて…、そうとも思えてしまいます。
まあそれでも、手術人で良かったと思うことが死ぬまでにもう一度はあるかもしれません…。
次回の高校生への講演では、そんな思いを、ちょっと男前に、話そうかと考えております。
「歳食っても外科医」ではなく、「歳食っても今どきの爺さま」としてやっていこうと、心ひそかに思う次第です。

読者の皆さま、今回も長くなりました。いつも有難うございます。