Doctor Blog

コラム

京王線の旅 2つの予定でしたが、その四

時間について申し上げます。
その二で申しましたように、今まで、変幻自在に時間を操ってきた小生ではございますが、今回の京王線の、「ンな経験」の「無駄っちゃあ無駄な時間の流れ」…、
これ、もしかしたら、タイム・イズ・マネーと宣いながらも、時間をお金に換算する習慣が無い、もしくは逆に、時間をお金に換算し過ぎる、そんな連中からの、余計なお世話的イタズラなのでございましょうか。

うーん…確かにそうですね、敢えて申せば、医療界ほど、「時間」を念頭におかない業種も珍しいのかもしれません。
定刻の定義、そして刻限の幅が、あり得ないほど前後左右に広く延びているのです。それはヤヤもすれば、一般の常識を遥かに超えた時間感覚…、
例え1時間で終わっても、それとも5時間かかっても、「結果が同じであれば同じ」という、大変摩訶不思議な感性が漂っているのです。

一方、一昔前の手術現場には、
「一歩ずつ進むことはむしろ少なく、突然が多い」、また、「何でもかんでも人よりちょいと上手く早くやれ」、
そのような特殊な時間的風土が、確かに存在しておりました。
その理由は恐らく、「時間という観点で患者に恩恵を与えたという思い出」、また逆に、残念ではありますが、「時間という観点で恩恵を与えることができなかった思い出」…、
当時の手術人であれば誰しも、そのような、時間に関しての「邁進と反省」という両方の感情的記憶を、引きずりながら、そして背負いながら、生きていたことにあったのかもしれません。
もちろん、時間と安全性の兼ね合いには多くの議論と意見があります。
でも少なくとも、教育者としての外科医として、そして病院を背負う手術チームとして、
一日の手術が、1例だけであろうが、2例であろうが、3例であろうが、それぞれの手術に対しては、それぞれに相応しい時間で終える努力と慣性は必要だと考えます。

さて、これらの手術室における「時間」についてでございますが、
特に、昨今の働き方改革においては当然のこと、真っ先に議論すべき大きな課題と推測します。何故なら、人員不足や経営という観点はもちろんのこと、でもそれ以上に、子どもの低侵襲化に最も大切なことであるからです。
でもまあ、なんやかんや言いましても、そんなことを含めまして、
日本の外科学は今後、欧米に負けないように、少しでも進歩しなければなりません…。
ですから、「上手く早くやれ」、この命題に向けて、ちょいとだけ踏み出す勇気を見せろと、言ってもいいのではないでしょうか。
そしてまた、何を「建前」の第一義とするか、そして、何を「本音」の第一義とするか、その「順番」を大人っぽく解釈しては如何でしょうか。

そうですね、もうそろそろ、この社会を巡る、そしてこのブログ内を駆け巡っている、「数字の論理」、
まずは取り敢えず、その意義の気づき方について考えて頂ければと思います。
いや違うか…、むしろそうではなく、気づかない振りをすることだけ、やめればいいのかもしれません。
そうすれば、少なくとも最低限…、心臓外科医が、世間からも仲間内からも、「好感度や人気度の蓄えが少ない人種」と言われることだけは、何とか回避できると考えるのです…。

さて、話しが再びグダグダとなりました。
単に電車を乗り過ごしただけの「ンな経験」で…、何故ゆえに、こんなに無駄に盛ることができるのでしょう。
この執筆に要した時間を考えるだけで、これまた面妖な時間感覚を覚えてしまうのでした。

次回は、「順番」について少しだけ…、本当に一回だけ…、お約束いたします。
それでは皆さま、また…。

題 「我は我が道を行く」