手術と音楽 第六章 趣味
『随分と昔々のことでございます。小生の生まれ故郷にカキ氷屋さんがありまして、川遊びの帰り道、しばしばと寄らせて頂きました。さまざまな色とりどりのシロップ…、二色掛けが一杯10円、一色だと不思議に5円、練乳かけ30円、プラス金時で50円でしたでしょうか、そこにはいつも若大将の「お嫁においで」が流れておりました。親に隠れて一色掛け2杯を飲み干す酷暑の夏、結果、震える身体をバスタオルに巻いて帰宅する切なくも楽しき夏の思い出、今思い起こせば、誰からも好かれるピュアな子どもであったそうです。でもあの時のイチゴシロップ、舌が妙な紅さに染まるのは何故だったのでしょう。』
読者の皆さま、おはようございます。
「大層な時間をかけたというのに、その苦労に見合わない出来栄えのギャグ」、そんな身の程を知る今日此の頃でございますが、お変わりございませんでしょうか。
手術と音楽のお話は、なおいっそう元気に続きます。今回は執刀医が中心のお話しです。
さて、手術中に流す曲目に注目してみましょう。
一般的に、外科医が好む音楽というものは、自分が信じる軌道をひたすら孤独に走るようなもの(時々に遭難します…)、ですから、他人から見ればとても信じがたいこともままあるのです。
「アナタもそんなモンよ」と言われる小生が言うのも何なんですが、
この嗜好というもの、外科医個人の情報(性格)をそのまま反映しておりますので、他人がとやかく言うものではございません。特に、その楽曲で、手術室が上手く機能しているのであれば、それは尚更ということであります。
最近では、手術中に流すご自分の曲目をネットに載せている方々もいらっしゃいますし、中には、特注のプレイリストを作っているご丁寧な方もいらっしゃるようでして、
これはこれでなかなか、民主主義的に微笑ましきこと…、なかなか公明正大に「ロックしてるジャン」と感心してしまうのでありました。
さてさて心ならずも、話はややこしい方角へと飛んでいきます。
拙著「榊原記念病院 低侵襲手術書」では、Constant Perfusionの詳細を述べさせて頂きました。
これは、「生体の非生理的な変動」が心臓手術での有害事象を引き起こすという考えのもと…、身体の生理的状況をできるだけ一定(Constant)に制御するという「体外循環の管理方法」を示します。特に新生児の心臓手術では、その低侵襲化に極めて有用な手段です。
しかしながら、生体というもの…、体外循環がもたらす非生理的変動に対して、我々が何もしなくても、それなりにナチュラルに上手く反応、そして修正しているのであります。つまり、人間がやる管理は返って生体の迷惑になりかねず、有害にもなりかねない…、生体自身は、あまりにもお節介かつ差し出がましいことは望んでないということなのでしょう。なんとまあ健気なことでありましょうや。
そしてこのことは、自律神経にも同じことが言えます。〈Yerkes-Dodson’s law〉、これは「交感神経と副交感神経の活性バランスをそれらの中央に持っていくことが、パフォーマンス向上に最も効果的である」という法則であります。しかし、例えそう狙いすまして策を講じたとしても、そこは流石の自律神経でありまして…、人間の意図には全くもって応対してくれないのです。自律神経はもともと勝手に反応するもの、ですから人間の意思でコントロールしようなんて、これもまた自律神経にはお節介かつ差し出がましいこと、なんとまあ無手勝流なことでありましょうか。
つまり申したいことは、手術中に流す音楽も同じく、健気で無手勝流ではないかということ…。
音楽の効能には「緊張感緩和やリラックス、パフォーマンス向上」等々があります、だから外科医は手術中に音楽を流そうと考える…、もちろんそれはそれで好ましい思惑ではあるとは思うのです。しかし、これも同じく、音楽にとりましてはお節介かつ差し出がましいことではないかと…、「俺そんなことしてないよ、それってアンタの妄想じゃない?」、そんな音楽の声が聞こえてきそうです。
音楽自身が目指すものは、人間が言うところの効能とは遥かに異なる別次元のもの…、そんな気がいたしてしまうのであります。ですから、そうですね、例えば…、音楽に対してはただ単に、「アンタのこと愛おしく想っているから手術室で流していいかい?」、「手術中は、オイラをそっと包んでくださいね」、そんな風にそっと語りかけるだけの方がいいんじゃないかと…、理論崩壊の妄想ながら、心ともなく思ってしまうのでございました。
しかしもちろん一方で、培うべき「手術柄としての音楽」、その自由度だけは大事にしたい…、その考えは懲りずにずっと残ってはいるのです。
しかしここでさらに、一貫性の欠片も無い…、執刀医の完全なる「言い訳と頼み事」をさせて頂きます。
心臓手術におきましては一般的に、たとえ予想外のことが発生したとしましても、少しだけアドリブを利かせれば、それで十分に乗り切ることが可能です。ですから、流す音楽は何でもOK、ただただ流していれば、それはそれでいいのです。
がしかしながら、たまにではありますが、
執刀医独りっきりで、「きつきつのアドリブ」を長時間取り続けなければならない…、そんな手術がそれこそたまにあるのです。
そこでお願いなのですが、このような時だけでけっこうですので、執刀医が好む楽曲をかける我儘をどうか許して頂けませんでしょうか。本人はそれでパフォーマンスが上がると信じ切っているのですから、どうか少しだけ寄り添って頂ければと思います。手術中の執刀医は、あたかも、瞬時に喜怒哀楽のボタンをかけ替えるような努力をしております。信じるものは救われる…、そんな外科医に愛の手を、どうか宜しくお願い申し上げます。
以上より、(何が「以上」かは全くの不明でございますが…)
文献やネットに掲載されている、手術に効果があるとされる楽曲、その一つ一つについて改めて論じることは、それこそ野暮天というものでして…、
この第六章では、小生が大型ラジカセ時代にお世話になったミュージシャンをご紹介して、お開きとさせていただきます(カセットテープは既に行方不明ですので、思い出す限りですが…)。
どうぞ皆さま、ご存分に「おツッコミ」下さいませ。
続きます。
TAKURO YOSHIDA SHOZO ISE AC/DC The Who Queen Cream Deep Purple The Doors ZZ Top Osibisa Eric Clapton Jeff Beck BB King Pete Townshend The Allman Brothers Band Carlos Santana The Doobie Brothers Eagles YELLOW MAGIC ORCHESTRA etc.
でも、耐え切ってプロになるかどうかは…本人次第、一方、手術が好きになるかは…上司次第、だと思います。
特に後者のポイントは、学究的興味をどうくすぐるか、そして困難を打破したという達成感をどう感じさせるかでありまして、もちろんそこに、働き方の良否は関係ありません。しかし、長続きさせることに関しては、本人、上司、いずれにいたしましても、「手術柄」としての音楽が不可欠のように思えてしまいます。「手術柄」としての音楽は、手術室の共通言語でありますし、緩和のブースターなのです。さてお待たせいたしました。それではここで、手術室で流す音楽の選曲、その最も魅力的かつ理想的な方法(寸劇)をご教示させて頂きます。これは榊原記念病院・手術室の、門外不出の絶対的妄想秘技でもあります。
『皆の前に立つ小生、朝の手術カンファレンスという名の作戦会議が始まります。有線放送のプログラムを右手に持ち替え、息を整えます。次に、満面の笑みを浮かべながら、「本日の手術には何の曲をかけましょうか」と語りかけます。そして少しだけ間を開けて、「今日の自分の気分に最もフィットしているのはこの曲です。如何でしょう?」と畳み掛けるのです。そしてさらに、先程より少々長い暇を開けて「これでいいと思う人は右手を挙げて下さい」と優しく微笑むことに致しましょう。皆の手が徐々に挙がっていきます。取り敢えず「ウム」とうなずきます。それからゆっくりと、そうゆっくりと、反対意見が無いかどうか皆の顔を一通り見渡します。全員賛成の確認が得られれば、もう一つ頷きを入れて、声高らかに「私も」とプログラムをもった右手を挙げるのです。そして…もしもこの時…、間髪を入れずに皆が右手を差し出して、「どうぞどうぞ」の声があがれば、その曲は即採用決定、もし少しでも間髪が入るのであれば、憂いの表情を呈しながら、改めて選曲をやり直します。』
皆さま、この無二の秘技、如何でしょうか。上司をことごとくリスペクトする、そして「ペキっ」と音が鳴るが如き完璧なる民主主義、大和固有の多数決法だと思うのですが…。(ごめんなさい、殆ど盛ってしまいました)