手術と音楽 第五章 柄
『怪しいと訝しい、合わせて「怪訝」、心臓外科医に相応しいとまでは言いませんが、これほど似合う言葉もないのかと…。そんな感慨に耽りながら、ミラクルひかるさんが歌う宇多田ヒカルさんの曲を聞いております…。茅野の北斗神社の石段を一気に登れそうな気がしてきました。』
読者の皆さま、おはようございます。
「今はもうハングリーな外科医なんて流行らない…、あなた榊原で育ったの? 温室育ちだね、苦労無かったでしょ」、そんな風に言われる超一流外科医を育ててみたい今日此の頃でございますが、お元気にお過ごしでしょうか。
今回からは、音楽の「効能」に関するお話です。どうぞお楽しみください。
小生の選曲に、心が「緩和」され、そして、チーム意識を「シンクロ」してくれる仲間たち、
それは、「その楽曲が小生の手術にとても似合っている」とのコンセンサスが得られたということ…、謂わば、小生の手術の「テーマ曲」が決まったことになるのです。
もちろんそこまでには、ミッドナイト時間を重ねるという、少しく長い時間が必要でありました。
「この音楽を手術室でかけてもいい」から、「この音楽をかけて手術をしてもいい」への進化…、
このような「音楽シンクロ」を伴う外科医の資格取りは、以前に申した「手術してもいい」という単なる資格取りと同様に…、いやそれ以上に、何よりも嬉しい仲間たちからの後押しであります。これでようやく、全幅の信頼を持って、心臓病の赤ん坊と親御さんに寄り添えるということになるのです。
また加えて、「音楽シンクロの資格取り」には、当時の仲間たちの記憶が詰まっている分だけ、そして、当時の思い出としての映像が附随している分だけ、手術においては強力な武器、いや武器という言葉はふさわしくないですね…、そう、それは、手術に対する「気力」、手術を続ける「忍耐力」になるのであります。
それは外科医にとって、あたかも優秀なクオリティコントロールコーチを得たようなもの、手術の個性を決めるという意味でもかなり目出度いことであります。
このようにして、音楽というもの…、手術室を代表するオーパスとして、そして御用達として、若手の手術人たちを見守っていくことになるのです。
さてさて、話は少し飛びます。
榊原記念病院の一風変わった「自由」な手術室、その成り立ちと詳細につきましては、既に多くの場所にてご説明させて頂いております。
ただし、この「自由」という表現、これ即ち「顰蹙」ともなりまして、実際にそのようなご意見をけっこうな頻度で頂いたこともございました…。がしかし…、
人に「人柄」があるように、それぞれの手術室にも「手術柄」とでも言うべき多くの特性があります。もちろん、手術室に流れる音楽もそうなのです。
手術というものは、観るだけでなく、実践するだけでもなく、「身体」で覚え、そして「五感」で経験を積んでいくもの…、
手術人という生き物は、その経験という「手術柄」を背景として、大勢の目に品定めをされながら長じていきます。従いまして、その「手術柄」の一つである「手術室に流れる音楽」は、その音楽に附随している、今では忘れ去られた多くの記憶や経験を掘り起こし、若き手術人たちに配ることになるのでしょう。
この「掘り起こし」というもの、それは小生の経験上、今まで気付いていなかったことを気付き易くする、もしくは大切なことを忘れ難くするという、若手の手術人にはとても大事なものと考えております。それは巡り巡って、次世代の新たな手術人の「人柄」にも繋がっていく…、これまた妄想…、いや心からそう願うのでありました。
ですから、若手の手術人は、ただただそこに、つまり自由という手術室にいることが大切なのです。
榊原手術室にある「音楽の手術柄」、その発生要因について振り返ったことは今まで無かったと思います。
でもそれは極めて単純なこと…、それはただ単に、
一昔前の「エレキブーム」、そして二昔前の「ジーンズブーム」を不良のものと否定しなかった…、
ひたすら「ながら勉強」で受験戦争を勝ち抜いてきた…、
音程がはずれることを全くもって厭わない(ですから、とても人には言えない多くのカラオケ伝説を持つ…)、
そんな多分にナシのわかる、でも音楽とのご縁はすべからく皆無の、そんな上司がいただけのことなのです。
それはつまり、自由という名の単なる放任主義と言うのでしょうか…、お蔭さまで、榊原手術室の音楽はそれこそ自由に育っていったのでありました。
それがいいのが悪いのか…?
しかしもし…、あの時の上司が、とんでもない音楽的才能を持っていたのなら、とてもとても、こうはいかなかったことでしょう。もちろん、そんな才能があれば、外科医に身をやつすことはないのでしょうが…。
続きます。
今思い出せば、ストレスフルだったあの当時、しかし今考えれば、今よりはストレスフリーだったあの当時…、
それでも今のほうが何だか地味と感じるのは、音楽が「手術柄」へと成長していったあの当時が相当に恋しいのでありましょう。
確かに、あの時代を思うと、「ひたむき」という世界へ突っ走ることの大切さ、そしてそこに音楽が寄り添っている幸福感…、手術室の音楽には、キラキラ輝く大量の映像が詰め込まれていくのでありました。
今は、毎日がオーディションと思えるほど多くの音楽が流出しまくっております。あの当時に最新であった懐かしき音楽たちは、今では侘び寂びを持ったベテランとして、自律神経を少しだけ調節してくれるだけなのかもしれません。今も頑張ってはいるのです。
小声で申します…。少しだけ庇が長くて夕立をちょっとだけでも遮ってくれるような、もしくは、ちょいと御神酒が欲しくなるような、そんな新たな音楽を「手術柄」としたいと思うのは、年寄りのエゴというものでしょうか?