Doctor Blog

コラム

夏が来れば思い出す その八の一

『小児循環器領域におきましても、「緩和医療」の重要性が指摘されるようになりました。
緩和ケアは、「生命を脅かす疾患による問題に直面する患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的、心理的、社会的な問題、さらにスピリチュアル(宗教的、哲学的なこころや精神、霊魂、魂)な問題を早期に発見し、的確な評価と処置を行うことによって、苦痛を予防したり和らげることで、QOL(人生の質、生活の質)を改善する行為」、WHOの定義です。
もう20年ほど前からになりますか、大阪のオッチャンとは杯を傾ける度毎に、緩和に関する議論を重ねてまいりました…。
「話が噛み合う、意気投合、心の扉を開く、心のひだにすっと入る、琴線の共振、共鳴共感シンパシー、胸が射抜かれる、胸に清らかに響く、憧れる、愛の告白と一目惚れ感」、そのような想いは時折はぜる暖炉の薪のようなもの、何かしらの何某かの倖をふと手に入れた気分となるのです。
「有難う、いいものを見させていただきました、感じ入りました。あなたに勧められたお酒は決して高級ではありませんが格別に美味い…、しかもあなたと呑んでいるのだからひとしお、…流石ですね」、そんな心持ちはお互いの「生」を少しだけ豊かにする、幸福になることを諦めないための上等なもの、すべては「ご縁」であります。』

さて読者の皆さま、失礼いたします。
前回お示しした津軽のヤツらの、訝しくも胡散臭い「察し&案ずる感」、そして極めて縄文っぽい「お出迎え感」というものは、
赤ん坊や親御さんをもてなす小児心臓外科医として、これほど大切にすべきものはないと思うのであります。それは、「初めての出会い」だからこそ故に…、大きな価値があるのです。
今回からは少々、『緩和』というお話にてお邪魔させて頂きます。おふざけ旅ブログの最終稿は平にご容赦、今しばらくお待ちくださいませ。

確かに私ども小児心臓外科医という輩は、自分用のお守りに、間違って「安産祈願」のお守りを購入したとしても、何故か自然と微笑んでしまうという不思議な人種であります。…がしかしながら、
外科医生活40年経って、改めて「緩和」について問われましても、「これが緩和である」、「具体的にこうしたら良い」というような「緩和に関する一家言」、持っていないことに気づきます。

さて、どうすれば「赤ん坊、親御さんの緩和」となるのでしょうか。
何と言っても一番肝心なことは、手術手技や術後管理において、とにもかくにも「低侵襲」を目指すこと、つまり如何に赤ん坊を楽に引っ張り上げることができるかどうか、これは必然に大きな緩和になります。
そしてもう一つは、「言葉を用いて」緩和するということ、これもまた当然に当たり前なこと、でもしかし…、
実はとっても難しい。
なるべく柔い言葉を探しながら、微妙な点までお伝えしようと努力するのですが、エネルギーを注いであげたいと思いつつも、ついついお互いのエネルギーを奪い合うような会話になってしまうこともありまして…。
しかし、これら「低侵襲」そして「言葉を用いた緩和」は確かに、赤ん坊と親御さんの心労を軽減する大事な手段であることは間違いありません。
そして大変恐縮でございますがさらにもう一つ、医療従事者も緩和を受ける必要があります。我々手術人は見た目と異なりまして、精神的に脆いといいますか、意外と感情が入りやすい連中が多いのです。
赤ん坊の治療過程において大きく心が揺さぶられることもままありまして、ですから重ねて恐縮ですが、病に打ち勝つためには、我々「仲間の緩和」も考えておくこと、これもまた大切かと思います。

続きます。

かなり辛口な内容で書かれたお神籤を袂に入れて歩く神道、そうそれは三泊四日の宿坊修行旅の最終日でした。さすがにここは聖なる神域であります。毎日の奥社登拝、徘徊ともいえる無計画な散策、木漏れ日を利用した読書三昧の日々、そして精進料理&蕎麦のご相伴、身も心も清められての帰京と相なった次第です。お山から下界へ降りますと、何でもOK、全てが4Kという不思議な新鮮感覚、手元にはお土産の蕎麦セットが握られております。本日帰京後の夕食について自宅へ連絡、「流石に蕎麦はご遠慮、カレーが食べたい」、そう申しましたらうちの山の神、「修行が足りない、もう暫くいたら」と一喝、やはり巡礼とは厳しいもの、神々の性格もさまざまなのでございました。