夏が来れば思い出す その四
『小生は今、津軽岩木スカイラインをシャトルバスで下山中であります。(クドいようですが、ここを歩くことは禁じられているのです)
ほんの心持ちではございますが、少しだけ辺りが暗くなっているように思えます。先だっての登山家、いや心臓外科医に生まれた直感ともいえる願望は、やはり縄文の神々からの温かきご啓示だったのでありましょうや。心より感謝申し上げます。』
さて読者の皆さま、そんな都合の良い言い訳とは「別腹の裏腹」に、
シャトル(ネコ)バスは、あの幼稚園児の真っ青な青空を背景にして、まばゆく光る日本海、「晴れ時々快晴」の中を軽やかに駆け下りていくのでありました。そう言えば、8合目駐車場での聖なるご託宣、あの妙齢の「ご夫婦神」は無事山頂までたどりつけたのでしょうか?
さて、このシャトルバスの終点は、かの「バス神」降臨のバス停“枯木平”の、その4つ手前にある、見事に通過してしまった獄温泉郷であります。(獄温泉なのに、バス停の名前が“岳温泉前”なのは何故でしょう?)
さてさて、「獄温泉とうちゃこ」です。でもでも…、
聖なる登山をサボったことへの心臓外科医特有の切なさが、今度はフツフツと湧いてきたのであります。
今まで幾つもの山々を、妄想登山と想像登山だけで真っ当に制覇してきた山男の矜持には逆らうことはできません。某小児心臓外科医は速やかに軽めの決断をしたのでありました。
「今歩かねばいつ歩く…、俺が歩かねば誰が歩く…、俺は今、ここで生きているじゃないか…」、
獄温泉から岩木山神社までの「獄きみロード」、約7kmの下り坂を完全踏破し、そしてその暁に晴れて、岩木山神社の参拝に望もうと、固く心が固まったのでありました。
そうです。今回の「ごあいさつ放浪記(妄想旅手帳)」の最大のイベントは、あの岩木山神社でのご祈祷なのです。
さてさてそう決まったらその前に、まずは少し腹ごしらえをしようか。
獄温泉の土産物屋店頭では、当然のこと、獄きみを販売中、「茹できみ」も捨てがたかったのですが、醤油の香ばしさが漂うバス停、やっぱり「焼ききみ」にしようかな…。
それにしても何にしても、『なんで青森、どうした青森、そこんトコよろしく青森』、何故ゆえにこんなにも暑いのか…、
今からの7kmの下り坂は畏らく、縄文の神々が与えたもう、多分にそう、確かにそう、それは試練という名の修行…。
そんな時のことでございました。
小生の後方で弘前行きのバス待ちをしている、夏休み家族旅行と思われるご夫婦と白い野球帽を被った小学生らしき男の子、三人の会話が聞こえてきます。
「今日はもう30℃超えてるね、弘前まで帰ってホテルでゆっくりしようか」、
「…えッ、小生におっしゃってイダダイタのですか?」恥も外聞も羞恥心も無く、舌をカミながらついつい振り向いてしまう小生…。
う~ん、これもまた、「親子神」からの啓示なりか、少年の手には半分齧った茹できみが握られておりました。
さて、その刹那的甘言を耳にした某小児心臓外科医は…、
前回ブログ「その三(山)」の中の、「…観天望気うんぬんかんぬん……」で申したように、すべからく「以下同文」の様相を呈したのでございました。(…謹んで省略させて頂きます)
断腸の思いを持って泣く泣く、「7km下り坂巡礼行」を直ちに“思い断った”のでございます。(読者の皆さま、実に面倒くさいお約束の一人夢芝居、誠に申し訳ございませんです…)
その後の某小児心臓外科医の行動はご想像の通りでございます。
外科医固有の速やかな手さばきにて「焼ききみ」を購入し、そしてついでに、あくまでも「ついで」ではありますが、
親子神のご啓示に感謝し、そして、これは御神酒の一種ではなかろうかとの疑念を抱きながら、生麦からできたというジュースらしき冷えた泡立つ飲み物も合わせて、購入させて頂いたのでありました。
そして仲良く、三柱の「家族神」とバスをご一緒させて頂き、岩木山神社へと「ワープ」したのです。
この酷暑、冷房の効いた乗り合いバスでの「7km下り坂巡礼行」は、ワープという言葉が最もふさわしいと実感した次第です。
続きます。
ところで、岩木山の8合目休憩所の名前は「IWAKI 1625」というらしいです。どなたの命名なのでしょう?