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コラム

羞恥心.com Chapter7

今回は少しだけ時間を巻き戻します。

前々回Chapter5で、「価値感の辛さから生じる自己への羞恥心のケア」&「他者の言動から生じる他者への羞恥心の修正」と、「褒めて育てること」の位置関係についてお話させて頂きました。
ただ残念なことではありますが、その理論が正しいかどうかはともかく、そのケアと修正って、実際に若手を目の前にするとかなり難しい、若手に対して正直になればなるほどさらに難しいのです。
さてどうしましょう?

少々経験ある恥ずかしき一つの有効策、完全無欠とは言えないまでも、それは「嘘」なのであります。
「嘘をつく」、もちろん語弊がありますが、「嘘も方便」とは昔から我々には馴染みのあるお言葉でして、
多少控えめに申せば、話を盛って良い方向に解釈させること、
もう少しはっきり言えば、折れたタバコの吸い殻を隠しながら、直ぐにバレる真っ赤な嘘を希望ある色にまで薄めてあげること。
例えば、「お前は絶対に世界に通用する外科医になる」、「あの手技は誰も真似できない」、「お前の手術的な感、好きだね」、「○○賞的な成果じゃないか」などの上司のお言葉、これらの殆どはほぼ100%大法螺に近い、
でもしかし、小児心臓外科医の中にはそれこそ偶々に、
「嘘から出たまこと」、「ひょうたんから駒」、「棚からぼた餅」、「うれしい誤算」etc.…、世間よりはやや高めの奇跡的確率で「嘘が現実となる」、有ることは有りますし無いことは無いのです。
もちろん嘘はない方がいい、でも少なくとも、全てに嘘をつきながら「褒めて育てる」ことはあり得ませんし、全て本音で「褒めて育てる」ということも無いのです。
嘘八百と判っていてもその嘘を自分につき続ける、もしくは捨てずに取っておく…、
「嘘があるから進化する」ことは、さらに高めの確率で有り得るのです。

まあそれでも、嘘をつく時には、相手を傷つけない、相手に合わせる、場の空気を読む、カドを立てないという礼儀、大事です。これらに気を付けながら、目が口ほどにものを言わないような頷き方に徹しましょう。
ここで寸劇を一つ、「俺と彼、どちらが嘘をついてるかって?」、そう問われれば、「それはまず彼に聞いてみろよ、間違いなく嘘をつくだけだろうが…」と答え、「まあ俺も同じだろうけどな…」と付け加える。
このような、あたかもお互いに余白を残しておくような友情ともいえる謙虚さが、自己の戒めを含む「嘘の美学」なのでしょうし、その美学をもって「かはゆし羞恥心」の経験を積むということになるのでしょう。

「褒めて育てる」、
上司には、本当らしく嘘を付く究極のテクニカルスキル(表裏ない嘘)に加えて、ほんの少しの恥じらいが必要でしょうし、
若手には、その嘘を見破ることができても、見破ったと思わせないようなノンテクニカルスキル、すなわち含羞の演技力が必要となります。
教育という場における多少の嘘、お互いの美意識があるから許容できるのだと思います(もちろん、自分の手術だけには嘘ついちゃいかんけど…)。

そんな口からでまかせを言う小児心臓外科医は今現在…、
「嘘言ってしもうた」と、幾ばくかの羞恥心を感じております。

続きます。

「嘘やん、嘘やん、お前こんな人間じゃなかったやん。」、この番組を観た大阪在住の「拓郎仲間」からのラインです。
もちろん言いたいことは分かります。でもすべてが一発収録OK、NG皆無であったこと、それはまさしく小児心臓外科医の「根もない嘘から芽が生える」という真骨頂であり、もっと褒めまくってもエエんとちゃうかと思うのです。
もう一つ、今日はホワイトデー、お返しが一つ足りず、その替りにこの録画DVDを某副師長にプレゼントしたのですが、極めて微妙なほほ笑みを返すだけ、嘘でもいいから嬉しいと言わんかい。