羞恥心.com Chapter4
羞恥心を一身に浴びて生き延びたにもかかわらず、
羞恥心を「集恥心」と書いて、「いと恥ずかし」と揶揄される小生が言うのもガチマジ恥ずかしいのですが…、
「他者への羞恥心の持ち様」につきましては、前回申しましたように、
できますれば「いと恥ずの羞恥心」ではなく、「かはゆしと解釈する羞恥心」もしくは「オホーツク流氷館の懐抱的羞恥心」が好ましいかと…。
皆々さまには是非、太っ腹の優しきご了見を持って、そんな「集恥」小児心臓外科医を暖かく見守って欲しいなあと、心から願う今日此頃なのであります。
念のためここで、マジで凹む「集恥本人」から少々の通訳(言い訳)をさせて頂きますと、
たとえ、「集恥心」と自慢げに清書する外科医が実在したとしても、
「コイツ恥ず」ではなく「こいつ何故か“かはゆし”」と嘘でも思って頂けるのであれば、
集恥本人の心は和らぎ、外科医としての成長を素直に促すことが可能となるのではないかと、
「そんなことをひたすら衷心に願う、傷心の小児心臓外科医に愛ある合いの手を宜しくお願い申し上げます」と、それだけを言いたかっただけなのです。
要は、「笑い話ですませて頂戴」とは言わないまでも、その羞恥心をとことん昇華できる寛容なる教育環境があるかどうかを問いたいだけ、まあこれが、「集恥本人」が望む、手術チームの「褒めて伸ばす的な大人の義務教育」ってなことなのでしょう(…お前が言うかぁ?)。
でもそうであれば、医療従事者として最も大事にすべき羞恥心、医療人を育成するための羞恥心、本来の医療サービスを履き違えないための羞恥心…、
総じて言えば、日本人として最も大事な「他者へのおもいやりの心」は、まがりなりにも「自ずと若手に宿る」と信じたいのです。
ですから、管理者の皆さんたちにはそのお手本として、若手の成長を妨げるあまりにも迷惑な、若手に「あ~あ、またかいな」と思わせるような、また、若手から「コイツ恥ず」と思われるような言動は是非ともご遠慮頂きたい、
組織をシュルシュルと萎ませる脱気感だけはどうぞご勘弁…、よろしくお願い申し上げます。
若手は、「ピュアな羞恥心でいたい」と願っているだけなのです。
羞恥心の修行においてはすべからく、上司も病院も、利用されるだけの存在に徹するべきです。
続きます。
当時の研修医は、午前3時就寝、そして朝6時起床の毎日、羞恥心といえば自己の未熟さに対して感じるだけ、上司やスタッフへの「いと恥ず」という羞恥心は皆無でありました。
若手にとりましては、自分の修行だけでなく自分の心にも邪魔が入らないという意味で、大変幸福な時代であったのだと改めて思います。