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コラム

羞恥心.com Chapter3

さて、ここは「あばしり湖畔の宿」、
ワンドリンクサービスのグラスビールを傾ける浴衣姿の小生、ワンステージ終えた後の疲労感が湯上がりの心から心地よく染み出していきます。
「旅の恥はかき捨て」という格言は取り敢えず横に置いとくとしても、すべては東京を出立した際の企画通り、
今現在、小生の心に「羞恥心&罪悪感」など、全くもってございませんのです。
むしろそこには、「俺はやりとげたという達成感」、「流氷館スタッフを心の底から楽しませた(笑わせた)という充実感」が、揺るぎなき信念を持って充満していたのでありました。

ただ、今回のボッチステージ、あえて反省があるとすれば、
タオルを回す時に踏み出す左足の角度が少し足りなかったこと、そして、アドリブで加えるはずだったムーンウォークを省略してしまったこと、加えて、見っかっちゃった時のボケが無かったこと、小生にとっては重大なインシデントながらも、まあ良しとするのでありました。

心に湧き上がってくる羞恥心というもの、それは日本人ですからどうしても、他者に対しても、自己に対しても、
良い意味に向かう「ほんのりとした、かはゆし感覚」と、悪い意味に向かう「非難もしくは恥を知れの感覚」が出てしまいます。
もちろんそこには、長年付き合ってきた歴史ある、「恥の文化」、「罪の文化」の解釈も必要でしょう。
しかしながら、誰もが経験するであろう羞恥心や罪悪感というものを、「かはゆしの感覚」を用いて、如何に早々に軽減できるのか、如何に微妙に修正できるのか、如何に勢いよく向上へと導けるのか、
これらは、手術を生業とする我々外科医、特にロートル小児心臓外科医の存在意義として最も大事な課題であろうと思うのです。
医療従事者の皆さん、
流氷を優しく溶かす小春日のように、
「いいんだよ」って暖かく海容する言葉のように、
「その羞恥心はいいね」って心の底から言えるように、
日本だけに生き残った『多少上から目線のポジティブ羞恥心のはんなり文化』、まずは受け止めてみては如何でしょうか。そのためには、網走オホーツク流氷館での『羞恥心ボッチ舞い』、最短近道ではないかと思うのです。

小児心臓外科医の、またぞろ懲りない外科医的羞恥心、極寒網走の地にはそれを洗う力があるのでしょう。
今後の外科医として生きるための心がまえ、あのタオルとともに優しく固められたような気がしたのです。
天知る地知る我知る人知る…、
宿自慢の露天風呂ではこれまたお約束的に、そしてあくまでもジャパニーズ的に、タオルを振り回したのでありました。(もちろん、ニポポの神さまにはこころの底からお詫びを申し上げておきました)

まだまだ、続きます。

病院の庭です。木々の美しさというよりは、それぞれの間に存在する空間、すなわち多少遠慮がちに佇む「間の美」もしくは「余白の品性」というものが、そこに住む人間たちに捧げる、このお庭最大の美しき徳性でありました。
残念ですが、その一端を担ったポプラさん達はもういません。