Doctor Blog

コラム

羞恥心.com Chapter1

それは旭川での手術が終わった某年某月某日、春はあけぼの、早暁の出来事でありました。

その前日に頂いたぎんねこの新子焼き鮨みなとの江戸前&蝦夷前寿司、舌心に漂い残る幸福な味覚の記憶…、腰に手を当てて「おはよう日本、元気ですか!」と叫びたい気分です。
…でもでもでも…、
窓の外はようよう白くなりゆくとも何故か、何かが…、そう何かが満たされていないのです。

当時の内心を思いめぐらせれば…、
ただただぽっかりと、やや楕円形に空いた小生のか弱き心…、柔らかき春日を浴びようとも今少しだけ、そこだけに冷感が消え残っているのです。
それは決して、すがわらの塩ラーメンを食す時間が無かったからではありません。
ましてや、よし乃の味噌バターラーメンが恋しい訳でもないのです。

このように、Heart of Glassを襲う寂寥感、もちろんそれは、小児心臓外科医にありがちな新鮮味に欠ける心の有り様ではあります。
でもしかしながらこの外科医の心の凍傷、デリケートであるが故に直ちに蘇生を施し、早々に復活させておかねばなりません。それは長年の経験の示唆であり、昔からの決まり事でもあるのです。
もちろん、北の国に御座す神々の御助け、期待しても宜しいかと思います…、
がしかしそこは、小児心臓外科医のみが自慢できる自己治癒力、その真骨頂に任せるべきでしょう。
「流れに身を任せながらとことん流されまくった末に考えた」、見事なまでに熟考した決断が、比較的速やかに顕現したのでありました。あたかも以前から綿密な計画があったかのように、そして、あたかも1%の傾斜を水滴がひょろりと流れるように、その足で特急オホーツク号に飛び乗ったのであります。
そうです、ああそれは…、「石北本線自分探しのメランコリック一人旅」(…何のこっちゃ…)。

読者の皆さま、度々申し訳ありません。
コートの襟を立て③番ホームに一人佇む下方目線の小生の佇まい…、あのテレビドラマを思い浮かべながら真摯にご想像いただき、そして次文をお読み下さいませ。

『軌道以外は一面の銀世界、キラキラと車窓に当たってはこぼれ落ちるなごり雪、ああ目指すはかの網走番外地…。
こんなにも大胆かつ無節操な逃避行を褒めてやりたいもう一人の自分が、駅蕎麦の窓ガラスにうっすらと写っています…。
でも、口ずさむのは「さだまさしさんのあの曲」ではなく、何故か「津軽海峡・冬景色」…、
一体何なんだ、この自分でも理解不能な切なき旅情感は…、
ああでも今僕は、確かにここ北の大地で生きている……、たとえこの旅がすべからく以前から計画されたものであろうとも…、これ以上何を望むというのか。』

でもさすがに3時間以上の列車旅、これらの哀愁は、誰しも身に覚えのあるように、乗車後約30分でことごとく終わりを告げたのです。
さてお約束の時間がやってまいりました。旭川駅にて抜かりなく購入した「カニ飯&大吟醸一夜雫」の出番です。
週末とはいえ、帰京を一日延ばすというセンチメンタルな罪悪感&羞恥心はそれ以降、遠軽駅上空に一瞬現れたオオワシのように、目から鼻に抜ける吟醸香とともに、小児心臓外科医の阿頼耶識から遥か彼方へとゆるりと飛び去ったのでありました。

続きます。

あの当時、楽器およびPA機器の搬送とセッティング、そしてサイドギターが全ての役割であった。ただただ、自分の腕の未熟さに燃えたぎる羞恥心だけを心に秘めていた…。
この40年以上も前の、その4年前のその当時、踊りは得意じゃないけどまずは踊ってみようという出たがり屋、ステージ上で課せられた降り付けに恥ずかしさ感じたことは確かに無かった…。