Doctor Blog

コラム

羞恥心.com Prologue

読者の皆さま、先に告知させて頂いた「新春Web特別講演」、ご視聴まことに有難うございました。
講演動画は現在もYou tubeに転がっておりますので、お見逃しの方はどうぞお早めにご覧いただければと思います。
担当者によれば、前回の講演会より視聴率が良かったとのこと、
でもそれよりも何よりも嬉しく思いましたのは、「シュールにはにかむお約束ドヤ顔」に頂いた、多くのご批評メール&励ましのお手紙&嘲笑添付のラインの数々、いと恥づかしく、思わず頬をラメ入りで染めてしまいました。
さて、今回も相も変わらないサゲの無い人情味ある落とし噺し、恥も外聞もなく、なり振り構わず続けてまいります。
その逆光キラメク演目名は、『羞恥心.com』、何卒よろしくお付き合いのほど、おん願い申し上げ奉ります。

さてさて、突っぱなから大変申し訳ございませんが、「久留米絣着流し姿の小生が熱燗の盃をそっと傾ける朧月夜」、そんな様子を勝手にご想像いただき、そして次文をお読み下さいませ。

『そうだった…、そうあれはもう十年以上も前の過ぎ越し方…、
春来たりなば、一粒の哀哭の涙とともに何故かふと思い出す、そう、かの北国での「ボッチ羞恥心事件」を…。
「永遠のシークレットEmbarrassing Memory of Blushing」、少しだけ語って(騙って)進ぜよう。』

今回のブログ、あまり上出来ではない自信だけは完璧にございますが、早速、続いてまいりましょう。

歌に関してはあの当時、メロディーとそれを歌いこなすテクニックだけが全てと考えていた。今思えば、歌詞の内容に思い浸り、それを伝えようと努力したことは皆無だったかもしれない。それ故に、歌そのものに羞恥心を感じ得なかったとはもちろん言わないが、観客を楽しませるには俺たちが必死に愉しむとの青き信念だけ、そこには多分な後ろめたさがあったこと、間違いない。
でもこの40年以上も前のその当時、人前で歌うことに関して、他人の目を気にするような羞恥心は既に消え去っていたような気がする。ただ、ステージ上で課せられる降り付けだけは心底恥ずかしかった…。