使命感 最終巻 使命感?
さて、皆さま、長々とお付き合い下さいまして誠にありがとうございました。
小児心臓外科医というもの、小さいことをとにかく大きく、大きなことは少し遠慮しながらもっと大きく、「夢か現か幻かのお伽噺」をしてしまうのであります。
先日もある方から、「小生のブログ少々難しい」とのご指摘を頂いたばかりです。でもこの難しいという表現、解釈がかなり難しい…、つまらないという意図では無いことを祈りまして、それでは最終稿を始めます。
某小児心臓外科医が上梓した「◯◯○○ 仕事の流儀」、大変僭越&恐縮ではございますが、その執筆理由を改めてお示しいたします。(宣伝しようなどと、そんなアザトイことは少しだけしか考えておりません)。
1. 何かしらの成果は、ナニかしら与えることから生まれるもの、そして、ナニかしら貰うことから生まれるもの。いつか成長するだろうとは言っても、その「いつか」といつ巡り合うことができるのか? そのいつかを早めに持ってこさせることができるのか?
上司と若手との経験値の差をなるべく早く埋めておくために、言葉や気持ちだけでも「前もって伝える」ことが大事と思った次第です。
2. 私どもは、一般の人では味わえない価値や喜びを、個々にそしてチームで経験かつ共有するために、こういう仕事を選んだと言っても過言ではありません。
それらの感じ方とその後の使い方を、ほんの少しおせっかいに補助することが大事と思った次第です。
3. 小児循環器医療の一歩は、上司と若手の価値感を如何に速やかに萌芽合体させるか、そして管理者がそれらをどう上手くすくい上げるか、そういった一つ一つの現場作業から始まり、そして継続していくものと考えます。
榊原記念病院の使命感シソーラスの中にある物語をいくつか載っけることで、それぞれの使命感を考察して頂き、「変わっていいものと変わってはいけないもの」、その是非について考えて頂きたいと思った次第です。
医学を目指す若者、そして既に修行に入った若者
やるべきと信じた価値を、一番価値があると感じてやる
だから、何があろうとも向かい合い続けることができる
だから、ブレない使命感が生まれる
だから、しつこくも、それ以上の新たな価値を感じることができる
そして使命は輪廻していく
さて『使命感とは?』
本来は変化すべきではないもの、何一つ変えないのは勇気です。
榊原記念病院は、新たな医療を作る者、そして、先人がつちかってきた医療を守る者、その双方を育てる使命があります。何故なら、どちらもとんでもなく大事だからです。
古いものはどうリニューアルするかであって、もちろん古いもののリバイバルは必ず来ます。ですから、
改革々々とか言って、最も大事なものを忘れる罪だけはおかしてはいけませんし、
新たな使命だとか言って、味気ない病院とする罪だけは決して犯してはいけません。
このこと、小さな声でデカく申せば、「榊原記念病院だけができる唯一の使命感」かもしれません。
さてそろそろ結びとして、体系的に『使命感を定義』したいのですが、…う~ん…、
現役の外科医だからこそ、使命感は未だ変化し続き、なんだかまた少し増えたなという不思議感があるのです。
ですから大変申し訳ありません。できますれば今少しの猶予を頂ければと思います。
完全に外科学を離れる時が来ますれば、晴れてこのブログにて、
難しいとのご指摘を頂かないように…、深い残り香が鼻先に燻るように…、餡(案)がなくても「すぶくれ」のような味が出せるように…、
しっかりと語らせて(騙らせて)いただきます。
ご清聴 誠に有難うございました。それでは皆さん、またお会いしましょう。
結局、Web講演とほぼ同じ内容となってしまいました、悪しからず…。