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コラム

使命感 肆の巻 上司と若手 その三

さて続きです。前回は外科医成長の理想についての夢話、今回は完全覚醒して進めていきましょう。

最近の若手からの疑問というか、悩みは、
職場の人間関係やいざこざが殆どで、これは前回申した「環境学」とは大きくかけ離れておりますし、
また残念ながら、術学と人間学の志向に関する質問や提言は少ないのです。

一方、上司からの疑問というか、悩みは、
最近の若えモンはどうたらこうたらが殆どで、もちろん「環境学」インフラは予算の都合上無理ですし、
また残念ながら、術学と人間学の志向に関するアドバイスは中々できないのです。

若手の心情とそれに対する上司の感情、そしてお互いのシンクロと反発、
これらは古代から飽きずに繰り返されておりますが、それこそ「交差することのないメビウス環上の単なる一コマ(寸劇)」に過ぎません。
上司と若手の関係なんて、今も昔も明日も明後日も、共通の結論や認識に達することはあまりないのでしょう。

そういえば、若手だった頃の小生も、今の若手と同様に、
「全くもう…めんどくセ~」などと、上司への文句を言っていたような、言わなかったような…、
「この上司、多摩動物園の檻に閉じ込めようとか、ぜってェ多摩川に流してやるとか」、そんなことを思ったような、思わなかったような……。
でもそんな抵抗心の故に、ここまで生きてきたのかもしれません。
そんな当時の恥ずかしき数々の思い出は既に、「おせっかいな本棚」の最上段へと隠蔽&封印いたしました。

まあとにもかくにも、そんな上司でもそんな若手でも、
日常の子どもたちの手術の中に、とことんやるべき価値を見つけることができさえすれば、
例えそれが上司と若手で異なっていたとしても、例えそれが変容していったとしても、例え若手の方が美味いモン食っていたとしても…、
それこそ小児心臓外科医故に、そして本能的シンクロ能力故に、「諦めないというしぶとさ」が、双方ともに持続していくのだと考えます。
そして、この非体育会系的なしぶとさの故に、例え上司と若手がメビウス環上で交差することがなくても、お互いにシンクロした使命が生まれるのではないかとも思うのです。
そのあたりは、決して変わらない外科医の不思議な遺伝子なのでしょうし、子どもたちを見守る何らかの大きな力が働くのでしょう。

オールド外科医の皆さん、使命感について今一度思い起こしてみてはいかがでしょうか。
「上司と若手の感涙物語」、少なくとも映画化は無理でしょうが、少しだけウルウルする思い出が蘇るかもしれませんよ。

さて次回は最終話の「使命感?」、果たして完結できますでしょうか、

※ある日の夕焼けです。「地球最大の決戦」でのキングギドラ襲来を思い出しました。この東京の夕刻、モスラの歌を口ずさみながら、ゴジラに緊急連絡をしようと携帯を手にしたのは小生だけだったのでしょうか?

※我がふる里の古城があったお山です。ゴジラがオニギリ抱えて食っているように見えません?隣の建屋は発電所です。