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コラム

使命感 肆の巻 上司と若手 その二

さてさて、「外科医の成長」、あくまでも理想を申し上げます。

外科学は手の術(スベ)、
そこにはまず「早熟性」が必要、つまり一歩一歩ゆっくり進めばいいなんて悠長なことは言ってられません。
さらに、「熟練」に加えて「速さを兼ね備えた量産」も必要、即ち、『術学』が求められます。
つまり、修行の過程はもちろんのこと、結果においてすべてが判断される学問であります。ですから、「今日はこのくらい良かったね」というような妙な妥協は無いのです。
近年、心臓手術は誰でもできるものとなりました。しかしながら「術学」が求める最終結論は、単に手術をやれる外科医ではありません。その質といいますか、天才と言われる外科医の育成が究極の目的であります。

さて、この「術学」という哲学のもと、若手が手術行に入りますと、
ポリシーや美的感覚、ものの良し悪しの基準など、つまりそれぞれがそれぞれに持つ『価値観』というものが、それこそ無節操かつ浮気性的に出て参ります。
しかも難儀なことにそれらは、外科医のわがままを携えて芽を出しますし、また、他人の論文での意見とかエビデンスとか、自分の価値じゃないものを混沌と多く混ぜ込んでおります。加えて、何故かお約束的に若手は、上司の口調や仕草で確信的にボケたふりをするものですから、「お前は依存県依存市依存町の出身か」と突っ込みたくなるくらいに、傍から見ればかなり怪しく鬱陶しいのです…。
しかしまあ、初めは誰でもこんな調子です。このように“散々なこと”を言われながら術学の修行は始まるのです。
一人の若者を『術人』として育て上げ、そして執刀医としてチームへ迎い入れるには、実はそれこそ「けっこうな条件」を揃えなければなりません。

その「けっこうな条件」、まずは何をおきましても、若手には「術」の習得が必須です。
でもあまり焦る必要はありません。適正な術学環境に身を置きさえすれば、「無節操な価値感」はそれこそ燦燦と、羞恥心とともに削ぎ落とされていくのが常です。
そして若手自身、少しでも身が軽くなったと感じることができれば、それは大事な価値だけが残っている証拠ですし、また経験上、“上手い下手”は別として、ある程度の「術(手技)」は既に習得しているものです(もちろん、これらは術人としての最低条件ではありますが…)。

しかし、「術ができること」と、「チーム医療が機能すること」は全く別物であります。
若手がチームの一員として認められるには、「術学」以上のもの、すなわち、『人間学』という学問も必要となります。
あくまでも平たく外科医的に言い過ぎれば、「人たらしの修行、礼儀の修行」ということ、例えば、面白み、信頼、人望 慇懃無礼なご挨拶などなど…。
でも実はこの人間学、若手が揃えるべき「けっこうな条件」の中で最も難儀なものなのです。

「人と付き合うとか調和するとか、人を成長させるとか、人を思うとか」、これらは単に知識を得ることとは異なりまして、手取り足取り教えることで成り立つものではありません。しかも、相手にも相手の気持ちというものがありますので、さらにややこしくなります。
前述したように、「術学」修行中の若手は鬱陶しい存在ですし、ともすれば、「外科医がノーマルな人間関係を築こうなんて最も似合わないこと」などと、散々に言われることもございます。
「人間学があってもチーム医療は生まれない」、当然あり得ることです。しかしながら、「人間学が無ければチーム医療は生まれない」、これは絶対に間違いないことです。ですから若手を受け入れる上司には、度量だけでなく、器量と無駄にきらめく人生経験なんかも必要なのです…(人笑学)??

さてさて、ここからが大事です。術学と人文学を獲得した若手には、そこから先、『環境学』を準備したいと思います。ただし、ここでいう環境とは、居心地が良いとか、働きやすいとか、そういう環境ではありません。天才へと進化するために、病院からプレゼントすべき環境を示すのであります。
その最終理念は、今まで不可能であったことの解決はもちろんですが、できれば「世界を平和にするとか」、「大きな社会貢献をするとか」、少し加えて「小児心臓外科医の給料をもっと上げる」といった、もっと壮大な環境を示します。
この環境、「自由かつ無制限のほったらかし」とも言えますが、まあここはやはり、管理者のスゴ腕と少し大きな太っ腹さえあれば比較的簡単にできることでありましょうや。

「術学と人間学を当たり前に育て上げ」、そして「価値感の質を保持させる」、
言葉を変えれば、「腕、人たらし」、そして、「新たな使命の風沢中孚」、できればこのように流れていくこと、理想と考える次第です。
しかし、なかなかそう上手くいかないのが世の常…、

外科医というもの、まあけっこう難儀な商売ですが、
だからこそ逆に、「気合や根性だけで物事は解決しないが、解決したら伝説になる」というような、アナクロかつ人間臭い、そして胡散臭い年寄り小児心臓外科医が喜びそうなオモロイ奇譚も出てくるのでしょう。

次回、匍匐前進でボケまくります。

※今から13年ほど前の小生です。既に多くの手術をさせて頂いておりましたが、その時の使命感はその5年後のものとは明らかに異なっておりました。やはりその時々に「最高と確信する価値」は変化していくのです。