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コラム

使命感 肆の巻 上司と若手 その一

今回は「上司と若手の感涙物語」です。でも執筆中、涙腺のゆるみは全くありませんでした。
どうぞすっ飛ばしてご笑読ください。

手術室には、どんな状況であっても、「上司と部下が慈しみ助け合う無心に感じ合い応じ合う」というような、多分に気持ち悪い環境が必要です。
上司と部下の関係は、例えば「評価する⇔される」、「伝える⇔受け取る」、「成長を促す⇔したい」などと、双方が切磋琢磨すべきなのですが、
「評価できない⇔されたくない」、「伝えられない⇔受け取れない」、「成長させる能力が無い⇔成長できない」、双方酔生夢死となってしまう…、結果、お互いの苦悩と疑問が増えてしまうのです。
今一度、手術室の上司と若手の関係を眺めてみましょう。

最初は当然のこと、若手は「依存」する存在です。
依存とは、自分で行動もしくは意識するという、能動や自考といったものからは最も遠いところにあるもの、つまり、できないから、考えきれないから依存する。
でもそれでも、いずれ「自立」していくのでしょう、がでもしかし…、
お互いがどれくらい離れたら依存ではなく自立となるのでしょう?
そして、自立の後の感情は、「尊敬」となるのか?それとも「軽蔑」になるのか?

でも、考えてみますと、尊敬になるということは、「上司との距離がまだまだ近い、つまり依存が続いている」ということですし、逆に、軽蔑ということは、「上司の背中が見えなくなった」ということ、
この軽蔑という感情、決して自戒するものではなく、若手にとってはこれ大きな前進であります。
結局、尊敬と軽蔑は、すべて依存から始まるもの、もともとの土台は完全に同体なのでありまして、上司の太っ腹からのメデタキ出産とも言えるのです。
でもまあ小児心臓外科医は、どっちもこっちもアチラさんもコチトラさんも、手術オタク同士のトボケ合いをやらかしますし、加えて、外科医独特のトンチキな味を醸し合うものですから、さらに絡みづらくなってしまいます。
そして、こういったお互いの感情はコロコロと音を立てながら変化します。
ですから、上司も若手も、それぞれが成長する機微といいますか、音程といいますか、心の流れ様は理解不能なことが多く、どうもそのあたりで、上司と若手双方の葛藤、そして管理者からの苦言が多くなるのでありましょうや。

でも、これはすべて成長ですから、悩んでもしょうがありませんし、ご質問を頂きましても、「小児心臓外科医だから」としか言いようがない、答える側とすればそりゃあ難しい訳です。
しかしながら、こういう疑念の出どころは、
上司と若手、そして管理者に、『臨床人』として人生経験が足りないといいますか、まあ結局は実力不足からきている気がいたすのです。
ですから未だに、どこかで見たような(今少し売れて欲しいと思うような)、小児心臓外科医が書くビジネス本の需要があるのでしょう。

それでは次回、外科医成育の流れについて懲りずに考えてみましょう。

※あいも変わらず「密(蜜)の世界」で生きております。でもそうだからこそ、「小児心臓外科医の使命はより早く成長するのだ」と思ってみたい今日この頃です。