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コラム

阿吽の呼吸 結び その三

読者の皆さま、おはようございます。本日は7月7日、まだまだ梅雨真っ最中ですが、このジメジメした夜明け、さすがに鬱陶しいものです。でもしかし、たまにですけど、何かを洗い流してくれるような優しい雨粒ってありますよね、長靴はいて“水たまりのランランラン”が好きになるような…。でも小生だけでしょうか、このように朝シャン気分で早暁を楽しんでいる稚気な小児心臓外科医は。

さて、奴へのライン返事は当然はばかるべく…、あの日の午前2時から既に数日が経過してしまいました。
そうこうするうちのこの希望の朝、ラインアプリの右上に①の数字が…、軽部風エンタメ修行の真っ只中ではありましたが、早速開けてみることにします。そうです、やはりヤツなのでした。

『おはようございます。三笠にて、大和の茶粥に魅せられながらこのラインをしたためております、そう今僕は奈良ホテルで朝を迎えているのです。いやいやそれにしても流石ですね、昨夜のフレンチもそう、その後のマントルピースもそう、デラックス・クラシックのお部屋もそう、全てが舌鋒カッコいいと感じる久々の古都ロマンスの気分なのです。心の底に佇んでるあのキラキラの記憶たちも…、秘密の小箱からポツポツと解き放たれて浮かんでまいります。
えっ、何故に奈良にいるのかって、ちょっと待って下さいね…、「ああ君、チェックをお願いね。」いまダイニングルームから出ますから…。

いやいや待たせたな、こういうところに来るとな、どうしてもおしゃれに振舞ってしまうんだ。やはり育ちの良さってやつか、へっへっへ。ところでユキちゃん羨ましいだろう?奈良だぜ奈良、アンタの好きな奈~良。

さてさてそうだったな、今回の奈良行脚の訳か…、話せば長い話になるぜ、それはそれは随分と昔々のことなんだ、オイラがまだ青年って呼ばれていた頃のことさ、
そう言えば、その時代の涙なくしては騙れない青春純情物語は少し前に喋ったよな(本ブログ 外科医の浪花節 その五参照)。そうさ、子どもの手術に相当苦労してたあの頃のことなんだ…。
俺たち人工心肺軍団も外科のオイチャンたちの思いに答えたくてさ、春日のお山の神さまと大仏さまに、手術成就の願掛けに出かけたことがあったんだ。そうさな、もう30数年も前のことか、確か桜が散り始めた頃だったな…、まだデジカメが無かった時代だよ。
でもこれだけは本当に不思議なことなんだが、その行脚に行ってからなんだよ、成績だけでなく、俺たち皆の気持ちというものまでが飛躍的に纏まっていったのは…。
その時の気持ちを誰かさん的に概念的に言うとだな、“まだまだガキの手術だからオモロイんだよ”、“妙ちくりんな決めごとがてんこ盛りだからオモロイんだよ”、“難しすぎてオモロイんだよ”、“一昔前の榊原記念病院の忘年会なみにオモロイんだよ”、って心からそう思えるっていう感じかな。何っ、分かんねえってか?そうさな、あえて例えて逆に言えばだな、あまり大声では言えねえけど、“今の内閣で忘年会したら本当につまんねえだろうだな”って速攻で想像できるだろう、それと同義ってことさ。
まあとにもかくにもあれもこれも、毎日の手術が愉しくなったってことさ。“今までつまんない事ばかりさせられていた子どもが急に大人の愉しみを知ったって感じ”って言えば分かるかい?「あ~うんうんそうだね、うんあ~そうそうそう、でもあ~そうウンウン」、てな会話が増えたんだ、その行脚の後、直ぐにな。

そして、それから暫く経ったある晩のことだった。摩訶不思議なことがあったんだ。オイラも若くてヤンチャなボクちゃんと呼ばれた頃だよ、鬼王のお稲荷さんの横の路地である占い師に突然呼び止められたんだ。当時は新宿にもこういった方々が多かったよな。その宗匠頭巾を被った白髭の爺さん、「あんたはん、なかなかええモンもらいなはったな」と京都弁で語り始めたんだ、「それかなり高級なものでっせ」と今度は浪速の商売人風の口調、そしてそのまま関西圏の放言を一回りした後、「あ~さよか、奈良行きなはったんか、それで分かったわ、それ阿吽やで…」。

実を言うと、この新宿での夜のこと、某テレビ局の充電旅の主題歌をボイトレで歌ってたら♪♪♪、それこそ“榊原あるある的に”思い出しちまってな、そしたらまたまたお前えさんのオチャラケブログが阿吽だろう、まあこれも何かのご縁かと思ってさ、それで即々旅立ったのさ。それにしてもかなりのご無沙汰っていうか、失礼しまくりっていうか、今更ながらではあるけどな…、まあそんなこんなで今、奈良の春日にお邪魔してるって訳でございますとさ。
それはそうと、阿吽で思い出したけどな、あのアイーンおじさんの銅像ができたらしいな。でもホントに心から残念だったぜ、ありゃあ日本の損失だぜ全くなー。

それにしても、東大寺南大門の仁王さん、相変わらずご立派、昨日もいいお顔してたぜ。でも、あのお二人が阿吽に行き着くまでにはどれぐらいの時間がかかったんだろうか?吽さんは何時代にお口を閉じたんだろうか?って、ついついお察し申し上げてしまうんだ。これって失礼なことか?
でもそれ以上に、門を入った所にいらっしゃる狛犬さんも絶妙だな、なんちゅうかなあ、あたかも旅人に“縁”を配る準備をしてじっと待ってらっしゃる感じっていうのかな、至極いいなあ…。でもこのご両人、何故にお二方ともお口を開けてらっしゃるのか?ご夫婦なんだろうか?喧嘩でもしてるんだろうか?まあこれもまた失礼な話だよな。

まあそんなかんだで、チェックアウトは明日にしたんだ。それで今日は今から、春日のお山の青芝を鹿と一緒にお散歩する予定なのさ、もちろんお約束で例の歌を“フンフンフーン♫♬”って歌わねばなるまいな、そしてお昼はビール&柿の葉寿司にでもしよっかな。
“フンフンフーン、…”ってか、…ウン?……あーっそうそう、そうだった💡💡💡。
浮かび上がって参りました、なんとなんとボチボチと秘密の心のボックスが整い始めました。このメロディに小判鮫していた映像記憶、そうだそうだのクリームソーダ、思い出してしまいました。あの日の南大門でのあの事件を…。

確かにそうだった…、あの日…、小雨が降ってきやがったんだ、それで俺たちビーチパラソルなみのでかい傘を借りて大仏さんの参道を歩いたんだ、そうそうそうだった。そう言えばあの温泉効能マニアの鹿児島出身の野郎は鹿のウンチ踏んづけて半泣きしてたな。
それにしてもまあ鹿の多いこと多いこと、残念ながらあのお方が乗った白い鹿さんは気配を消していたが、鹿せんべいを持つ俺たちの周りは鹿だらけ、中にはチビっこいヤツもいてな、そりゃあもう愛らしくて大騒ぎだったんだ。
でその時だ、ふと参道の端っこを見ると、その土段に寝そべる大きな角を持った牡鹿が一匹、雨に濡れながらこちらをじっと見てやがる…。何で食べに来ねえんだとよく見るとな、実は隻脚でここまでたどりつけねんだ、濡れそぼったままでさ。こういう時、可愛そうって思っちゃいけないのかもしれねえが、それでもつい可愛そうになってな、鹿せんべい持っていってあげたんだ、そりゃあ美味そうに食ってたよ。その時が初めてだったな、ほっぺた膨らませた鹿を見たのは…。あーところでそう言えば最近、お魚くわえたドラ猫はとんと見ねえよな…。
さてそんなこんなで、大仏さんのご挨拶の後は餅のロン、皆さんお待ちかね&お決まりの、お神酒という米ジュースを賛美する3時のおやつタイムのスタートってやつさ。“春鹿”っていう奈良の銘酒を目当てに、南大門から蔵元まで散策がてら奈良公園を縦走したんだ。でもその間…、その足の不自由な鹿は、俺たちが見えなくなるまで名残惜しそうにこちらを見てたらしいよ。

ところでところで、カメラフィルムの自動販売機って知ってるか?昔は観光地にはけっこう置いてあったんだ。
確か博物館の少し南まで歩いた時だったと思うんだが、その自販機で24枚取りを1本買ったんだ。そしたら、なんとなんと、5本もフィルムが出てきやがってさ、ついでに入れたお金も戻ってきちまったんだ、超ビックリさ。でも近くにはそれらしきお店は無いし、雨そぼ降る中返すに返せない状況で、しかも俺たちの気持ちは既に角打ち状態だろう、そのまんますぐに蔵元に到着したもんだから、結果、速攻で試飲開始と相成りましたとさ、フィルムは5本ともポケットに入れたままでな。
それから30分位たってからだったか、別グループの関西弁の某おっちゃんたち、俺たちのそういった今までの話しを聞いていたんだろうな、えらく興奮してな、「それは間違いなく“鹿さんの恩返し”や、絶対そうやで、なんてええ話なんや、論理的に説明つく方程式や、化学的な証明もできるがな、云々…」、乾杯しながらオイオイと泣き始めるもんだから、お神酒を頂き中の俺たち、目が回るような模様の利き猪口で既に少しだけ瞳孔が開いてたんだが、否定する暇も与えられず、結局のところ春日の神さまにお許し頂いて遠慮なくフィルムを頂戴するという、極めて臆面無き都合の良い結末になっちまったんだ。(その後、おっちゃんグループとは、近鉄奈良駅近くのお店、約2軒ほどのハシゴでお別れバイナラしたが、そのグループ、なんとあの某市のUFO&超能力研究会とのことだった…)
でも確かにまあそうだな、この鹿さんのフィルム恩返し事件に関しては、今の今までバチは当たってないからな、やっぱ、あのおっちゃんの言う通りだったんだろうか?でもこれだけは間違いないんだ、この後すぐに、俺たち手術チームの華々しい快進撃が始まったのは…。

奈良の鹿さんたち、もちろん神さまのお使いなんで、まあ色々と察することができるんだろうよ…。「気持ちが無い」と酷評された俺たち機器にも気持ちをきっちりと合わせてくれたんだろうな。でもなう~ん、これこそが、南大門の狛犬さんが配っていた“縁”からはじまる“阿吽の卵”ってものなのか?それとも、あの新宿の夜のお告げなんだろうか?
しかしもしもだよ、もしもそうであるのなら、阿吽っていうヤツは結局、先に思った方が察してあげて、そして察し返されるのを待ってあげるってことなんだろうな。強いて言えば、現在の若手に対して、「いつかは大人になるのだろう」という“待ち受け身感覚”じゃなくて、「大人の階段をいつ登らせようか」という“精力的かつお節介な思い”、“そしてひたすらじっと待つ”、これこそが阿吽を育てる最も大事なコツかもしれねえな。何だか少しだけ分かった気がしたよ。

ところで今も昔もそうだがな、俺たちの話の中身ってえのは全部が全部とも真実とは限らねえんだ、まあそのことは方便とも言うんだけどな。でもたとえそれが作り話だったとしても、作り話だからこそ心を動かすこともあるんじゃねえのか。
ある神さまが言ってたな、「そもそも阿吽の秘訣とは、阿吽を察して呼吸すること、これにつきる」とな…。まあとにもかくにも今だけはさ、この神さまのお言葉、やはり真理だって思わざるを得ないんだ…。
さてさて随分話し込んでしまったが、今日の春日、鹿せんべいを少し多めに準備せねばなるまいぞ。

さてさてさて、じゃあそろそろボクチャンは、よそ行きのシャレオツ気分でティーラウンジにイコカ“ICOCA”と思います。ほなユキちゃん、今日の手術もおきばりやす。おはようおかえり、ってなことで、オシマイ。』

なんかハラタツー、阿吽で“速攻ライン電話返し”、がしかし時すでに遅し…、阿吽の呼吸で着信拒否にされてしまったのです。
阿吽とはある意味、自虐的で面倒くさいものと承知はしてはいるのです。しかし、小生と最長老のようになんやかんやで察し合えるという間柄、それはそれで“阿吽”なんだろうと不覚にも思ってしまいました。全くもって悩ましい限りです。

さてさてその翌朝のこと、“今近鉄で京都へ北上中”とのライン電文の後に、昨日の奴の行状写真がズラズラと並んでおりました(散策中、昔の恋人に偶然にも再会したそうです)。そしてその終わりには、“春鹿大吟醸をクール宅急便で阿吽に送ってやったぜ!”と、誠に恩着せがましい文言がしたためられていたのです。
「まあしょうがねえな、今回はあの鹿さんと大吟に免じて許すとするか…」、北上後の奴の京都物語についてはまた次回の物語ということで…、それでは皆さん、其のうちにまたお逢いいたしましょう、オシマイ。

※巡礼某所です。さて小生はどこにいるでしょう?