阿吽の呼吸 一の巻
心臓外科医が描く心象風景というものは、デッサンとしても“茫々”、文字に起こしてもさらに茫々、“仕事の流儀”の上梓にかこつけて再認識した次第です。
その誘因の一つは、“全く読む価値が無い”と指摘する方々、お若そうなのに既に仕事の奥義を極めておられているようで、まさに平身低頭です。
一方、もう一つの茫々は相対する茫々…。“仕事での疑問”を持つ方々からの問い合わせ、未だに多いのです。がしかし、ご質問の背景にあるものが昔ほどよく見えません。これは“何だか少し危ういぞ”と、小心の心臓外科医の心、心底心配してしまいます。このように、ご質問を直ぐには中和できず、心ならずも茫々と案じてしまうこと、小生的には恐らく親切な化学的融合だろうと過信しているのですが、それにしてもこの朦朧感…、いや、心だけが前のめりになるような誘惑感といいますか…、一体何が原因なのでしょう?
さて、取り敢えずそこは置いといて、それにしても驚くべき多くの問い合わせ(多少の叱咤激励と嘲笑を含む)、誠に有難うございました。その中には、“このブログでそれらの紹介を是非に…”とのご要望もございまして、
さて、映えある第1位のご質問は、なんとあの“阿吽の呼吸”でありました。「阿吽とは?」、「阿吽の獲得法?」、「その近道と迂回路?」、etc.
確かに阿吽というお言葉、小生も言い出しっぺの一人ですので、何かしらの申し開き…、責任があります。しかし、若手から問いかけされることにはまだ可愛いげモドキを感じるのですが、それをベテランから頂戴しますとと、“確かに気持ちはわかる、でもほんのちょっぴり…何だかな?”と、ついうっかり八兵衛、微笑んでしまうのであります。
さて次に開けて多いご質問は、“運”であります。「運を育てる方法?」、「運が貰える神社?」、「運を招く化粧法?(…?)」、etc.
でもでも、確かに…、“う~ん”……、以下同文にて割愛いたします。
※“運”についてはここで申しておきます。運を思う人は、思わない人より運を持っているということ、そしてそこには既に、運を貰う可能性と運を与える資質が十分にあるということ、従って、それ以上の運を求めることはバチ当たりです。ですからこのご質問、神さまとのお約束もありまして、即却下する次第です。
さて以上のことを鑑み、今回は、“阿吽の呼吸”について、世迷い言を少し…。
でもその少し前に、ベテランの皆さんへはクドく申しておきます。“阿吽”を若手に期待すること、それはそれで意味があると思うのです。でもしかしですよ…、
アナタがそう願うことは既に、若手だった頃のあなた自身を“棚”の最上段に跳ね上げているということ、当の然、自覚されていますよね?
そして…、既に過去のお話でしょうけど、若手の頃のアナタの悲しくも儚い心の傷、麻酔無しでほじくり出してしまう公算、もちろん納得されてますよね?
続きます。
※ ふる里の、伝説多き神社の狛犬、“阿くん”です。