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コラム

外科医の浪花節 その七

やってモーてしまいました。弾けまくってしまいました。それはもう大変なお祭り騒ぎでした。
実を言いますと、たった今、長老&若者、大合同シンポジウム&大宴会が、まあ無事にとは言えないまでも、滞りなくお開きとなったのです。
そしてそれから2週間……、何かしらの後ろめたさは未だ残っておりますが、これもまた一興、大きなため息をつく気分でもなく、ましてや、さしたる心の変調もなく、ただただ…回想という時が流れて行きます。後悔という感傷は既に遥か彼方へ消え去りました。

それにしても何と多くの方々、よくぞお集まりいただきました。長老たちの9割が鬼籍に入ったということでしたが、何となんと出席率は99.8%。残念ながら参加できなかったお一方は、開会前の別店プレメディで撃沈した御仁でした。
一方、若者たちは、会費1980円飲み食い放題が功を奏したか、近隣県からの参加者も多く、かなりの盛況で安心いたしました。ただ、正確な人数は把握できておりません。長老のあるグループが妙な若作りをして若者席に紛れ込んでいたことがその理由とのことであります。

さてさて、シンポジウムでは、お互いに多少の遠慮感がございましたが、実に活発な議論が繰り広げられ、そして、ほのぼのとした中締めの挨拶を以て、宴会へと突入したのであります。ただ、長老のお一人は議論に負けたせいか、幾人かの長老たちから、叱責と慰めを受けておりました。

そして、宴会場へ移動が完了…、最長老の乾杯発声の儀、何故か少し揉めましたが、無事に宴会がスタートしたのです。
会場は、最長老の厳命により、長老会の中で最も若い奴の紹介です。今では某企業の江戸支店長を務めておりますが、奴がぺーぺーの頃ブイブイ言わせた“ぎろっぽん”、その近くのカラオケビルのワンフロアを貸し切りました。ここはもともと怪しい絨毯Barだったそうです。奴はそのこと、小生には当時から内緒にしていました。 理由はよく存じておりますが、その訳を質したことは一度もありません。武士の情けです。

それにしてもさすがは最長老です。のっけからのMax.flow、Ventフル回転で歌います。「芸のためなら……」、ただこれには、テーブル席で静かにしていた幾人かの若者、両手を交差してハラスishと叫んでおりました。しかし、そんなことはもちろん無視する昭和人、その動じない振る舞いは実に見事です。そしていつ入れたのか不明ですが、立て続けの次なる曲は、“カサブランカダンディ”、その頬にはいつのまにか薄紅のチークが入っておりました。「……、ひとつふたつはりたおして~、……」、何とまあさすがにこれもストレート過ぎますが、これがバカウケしまして、この時代を知らない先程の若者たちも狂喜で鳴り振りまわすタンバリン、まさしく狂乱の宴が始まったのであります。……、…。

さてさて、その後の宴流に関しましては、素人とはとても思えない、個人および団体の演芸が続いたことは覚えているのですが、それらの記憶、途切れ途切れなのです。老若の時間軸の変質が、音と映像という記憶までをもパラレル的に変容させてしまったこと、そして、“記憶を持たない時間”だけでシンクロしてしまう若者の特殊能力とそれに対する長老たちの襟度…、初めての経験ながら感激いたしました。長老と若者たちの交差しまくる時間軸、それらが5次元を少し超えたところでようやく晴れてお開きとなったのであります。大きな事件性がなかったこと(…多分ですが)、まさに奇跡です。…最長老の歌以降の宴の概要につきましては、記憶が戻り次第、詳細をご報告させていただきます。(…多分ですが)

でもでも、これだけは感心いたしました。長老たちはさすがに「時間」に厳しいのです。lose timeすることなく、in time or on time、もちろんwaste time することなく時間内のcompletion、若者たちはその秘訣について質問を重ねておりましたが、東京出身のある長老が言った一言、「お前らはどれだけ時間をかけてコミュニケーションを取り合えば気が済むんだ?」、「俺たちは生まれ育ちもバラバラさ、でもな、江戸でこんな仕事を何年もやってらあな、宵越しの時間は持たねえんだ。仕事ってのはな、忙しそうに見せちゃあいけねえんだ」、これには最長老を含めましたすべての若者たち、歯の浮くようなセリフにも拘わらず、静かに口を閉じた次第です。最年少の若者の眼は潤んで見えました。
なお、本宴会の記念品は何と小生のビジネス本でしたが、これは最長老の、“もっと売れてもいいんじゃないか”
とのご厚情です。(でも、何故か自腹を切らされたのです…)

そして何よりも、長老たちの“出で立ち”には、心の底から感服しました。恐らく、ネクタイだけはアメ横で買ったのでしょうが、そのトータルファッションたるや、まさにラ・サップ、佇まいだけで語ることのできる傾奇者、いつもとは違う別の精神が宿っていたのでありました。イタリア留学経験のある若者は、昔を感じさせないその洗練さに驚き、そのコーディネートについてしつこく質問をしておりましたが、そこで大阪出身の別の長老が言った一言、「年の功より亀の功、俺たちは亀の甲羅を焼くことで皆の未来を占うんや」、…??、この発言にはさすがのサプール長老たちも、「あいつは全く修行が足りん」と、あきれ果てておりました。

前述しましたように、“記憶ではなく時間のみでシンクロ可能”、もしかしたら若者だけの特権かもしれません。それでも今考えれば、ぺーぺー修行の過程において誰もが必ず遭遇することでもあります。しかし、記憶の無い時間だけでのシンクロは、それはそれで結構しんどいものです。ですから、長老たちは、自身の記憶を前もって、若者に知らせておくことが望まれます。そうすれば、何らかのトラブルが若者に降りかかった時に、どんなに辛くても、何かしらの教訓と喜びが残ることになるのです。
長老と若者のシンクロは、外科学の伝統です。少なくとも手術に従事すれば、微々にでも、時間の流れに比例した記憶を蓄積することができます。しかし、そうやって若者が一歩を踏み出して大人になろうとしてるのに、何かがしぼんでいくような環境だけは絶対に避けなければなりません。ですから、少なくとも、時間の大事さを軽く無視した決まり事と、病院ならではの幼稚な考えだけは、やめにしたいものです。

さてさてさて、この一文を記す今し方の時間、5月30日の21時58分です。
時間への妄想は、未だ果てしなく続いていきそうです。しかしながら、この「時間」を考える時間は、何だかとても心地良く、その分何故だかこのブログ、さしたる進捗が認められません。
しかも、その内容、まともになればなる程、その大事な意義が薄くなっていくような気がします。自分の心とは関係ないところで、誰かに邪魔されながら流されているような気もいたします。そしていつのまにか、流れる場所さえも把握できない状況となってしまっています。不思議なことです。
これはもしかしたら、メビウスorパラレル輪廻なのでしょうか?スタートラインに戻ったような感覚であるのです。そういえば、我が愛犬は未だ元気でボール遊びしておりますし、そして今日のペイペイでは、素直にペイペイと唱和して、レジのお姉さんの失笑を買いました。

さて、読者の皆さん、時間というものをあまりに下手に考え過ぎますと、他人に迷惑を掛けてしまいます。このこと、最長老が二次会の場で騙ったことなのですが、迷惑と思われた方々、誠に申し訳ありませんでした。納得しつつも心から反省しております。それにしても最長老、何だかこの近くを徘徊していそうな気配がしてなりません。

今回のブログ、いつものことながら、さしたる何の結論もありません。なるべく早めに突然に、この続きを再開することをお約束させていただきます。がしかし、その時は、双方めぐり合わせの時間を持つということで、ご勘弁をお願いいたします。
あっそうだ、そうだった。たった今気づいたのですが、長老機器の話しばかりで、若者については妄想しておりませんでした。次回、それこそお開き的に、番外編としてご紹介させて頂きます。さらに迷惑をかけます。

一応、このまま続きます。

※榊原入職後の初めての長老会友人、DV-3D型人工心肺装置です。当時、世界最高水準の機能を有しておりました。襟足は5面体のスキンフェードであり、本邦のメンズ・ヘアスタイルコンテスト機器部門の優勝者です。