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コラム

俵尊 その三

さて、神をも畏れぬ行為だと存じます。俵尊には既にお詫びを申しましたが、小児心臓外科医として、俵尊が亡くなった原因について考えてみなければなりません。ただ、多少強引に小生のテリトリー(心臓)に誘導してしまう論理となっていることを最初にお断りしておきます。

まずは「胸部の神」と宣言されたこと、このことは何らかの胸の疾患で苦労され亡くなったということに間違いないと思います(ただ、胸部というだけで、心臓とか肺とか特定していないところが悩ましいのですが…。)他のキーワードは、26歳で亡くなる、幼少より病弱、天鈿女命の三男、タタラという名、そして、大日止に実在する古墳です。
まず、「26歳で亡くなる」という点に注目します。古人骨の検証では、15歳まで生存できた男性の平均死亡年齢は、縄文人が31.1歳、弥生人が30.0歳と考えられています(ちなみに、全体の平均寿命は、当時の乳児死亡率は相当高かったことから、男女とも14~15歳)。
ということは、俵尊は決して極端な短命ではなかったということになります。病気を持っていたとしても、極めて重篤なものではなかったとも推測されます。(もちろん、俵尊がおっしゃる26歳という年を、もし二倍年歴とすれば13歳となりますが…)
当時は、病弱な場合、栄養不良や感染症などの合併で容易に命を落とすことが多かったと考えられますが、猿田彦大神と鈿女命の三男という立場もあり、相当大事に育てられたということでしょうか。
それでは次に、「幼少より病弱であった」という点です。何らかの先天的病因、もしくは幼少期までの何らかの後天的病因があったことが想像できます。
病弱とされる客観的症状としては、「走る、もしくは歩くという持久力が無い」、「食が細く、痩せていて疲れやすい」、「よく風邪をひくなど感染し易く、治りにくい」などがあります。
もし、これらの症状が胸部の病気からのものであれば、それは肺か心臓しかありません。
次回、肺疾患について考察を進めます。

二倍年歴…春から秋を1年、秋から春をまた1年とする。すなわち1年を2年と二倍に数える暦法。

大日止、岩井川神社の森です。