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コラム

俵尊 その二

「俵(タタラ)」というおくり名は、俵尊が“鉄の神”であったことをそのまま示していると考えます。小生は幼少期、日之影町を流れる五ヶ瀬川と日之影川で水泳や釣りなど、よく川遊びをしていました。磁石にくっつく砂鉄が不思議で、それをヤクルトの瓶に入れて持ち帰っていた記憶があります。5分ほどで瓶一杯になりました。

五ヶ瀬川の砂場は今も黒々と陽光に光っています。また、近隣には見立錫山や槇峰銅山などの日本有数の鉱山がありました。

俵尊の時代には、日之影町は製鉄の郷で、“タタラ”の名の通り、その長であったのかもしれません。そして、その名残りが、個人的には日本一秀麗と思っている日之影町の“棚田”です。

 

一般的に、日本での製鉄開始は弥生時代後期以前、紀元前後とされますが、すぐ隣の熊本県大津市弥生村落の西弥護免遺跡では300点もの鉄器が発見され、近くには「多々良」の地名も残ります。また、宮崎市瓜生野地区の巨大遺跡からは製鉄炉跡が発見され、ヤマタノオロチ伝説があります。もちろん、天岩戸開き神話では、石欺許理度売命(イシコリドメノミコト)が鉄を用いて鏡を作成したのです。

 

この俵尊の伝承を考えると、誠に僭越ですが、記紀の神話は宮崎県北の高千穂を中心とした出来事であったと確信する次第です。そうすると当然、鈿女命の三男である俵尊の父神は、天孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を迎えた猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)ということになります。

大日止には、標高901mの高城山があり、猿田彦命が瓊瓊杵尊を迎え、この山頂から瓊瓊杵尊が国見をしたという伝説も残ります。事実、日之影町には猿田彦命の神社が多数存在し、高城山の西の麓には「乙女」という地区があり、鈿女尊のこととされています。鈿女命は決して浮気はしなかったとの言い伝えもありますので、父神はやはり猿田彦大神です。

高千穂および日之影は、間違いなく、天孫降臨神話の本場なのです。(俵尊みずから宣言されたこと、また、実在する古墳がその裏づけです。)

 

続きます。

日之影町大日止、瓊瓊杵尊の道です。