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コラム

手術雑感3 ~人の縁 その2~

前回は、人工心肺装置の今昔物語を中心に、少しだけお話をさせていただきました。
何度も申しますが、短期間で進歩しました(実を言いますと、この発展には日本企業の努力が大きく関与しています。感謝です。今後ともよろしくお願いします。)

しかし、心臓外科における機器の進歩はそれだけではありません。縫合糸、鑷子、持針器、鉗子、高性能の人工呼吸器など、また、麻酔や手術後における新たな管理方法の開発などなど、そして、強心剤や抗不整脈剤などの新たな薬剤や、強力な止血剤の開発などなどなど……、枚挙にいとまがありません。

さてさて、お待たせしました。妄想劇場の開演です。
読者の皆さんも、当然、相当にボヤキたくなっているでしょうね!よく分かります。恐らくこういうことでしょう。

“機器の進歩は良く分かった、でも、外科医の腕は進歩しとるんかい???”

もちろん、今の成績は格段に向上していますよ。
う~ん……、しかし、確かに皆さんが思われるように、
“今の心臓外科の発展は、外科医のスキルそのものの進歩によるものである”と、胸張っては言えません。
何ともはや悔しいことであります。

過去のブログの中でも申しましたように、外科医を含めた現在の若手スタッフが、もし500例だった時代にワープしたら、全く使い物にならないでしょう。
しかし、それは我々ロートル外科医も同じことです。もし、1962年の機器を用いて手術しなさいと言われたら、とてもじゃないができる気がしない。また、手術を行ったとしても、当時の成績以上のものが確保できるかと問われれば、まったくもって、自信はありません。同様に全くもって使い物になりません。
それだけ、昔の外科医の手術手技は、素早くかつ的確、職人技的に素晴らしかったのでしょう。

極論ですが、今の外科医は、多くの安全が保障できる道具がなくては、外科医としてやっていけない存在になってしまったのかもしれません。

昔も今も、多くの非生理的な負担(侵襲)を全身に作りながら心臓を修復する、これが心臓外科です。
ですから、ゆっくりと手術していたら、普通はとても成り立たないものなのです。

昔の外科医の腕に、焼きもちを3個ほど焼く気分です。ボヤキが嘆きへと変換してしまいました。

続きます。

1980年ころの人工心肺装置です