コラム
おわりに
外科医として、これだけ多くの『時間』と付き合ってきたにも拘らず、時間を夢想しすぎて降りるべき駅を乗り過ごす…。この不甲斐なさだけは、どうしようもありません。
それでも、降り立った駅では、これ幸いと、さらに“とつおいつ”考えたりもする自分がいます。言い訳ではないのですが、ある日受けた情けが忘れ難く、その意識付きの時間を次に誰に渡そうかと考えていたのです。いやはや、時間には未だに振り回されておりますね。手に掛かる時間との付き合いは、まだまだ続くのでありましょう。
そんな師走の折、『時間』から、いくつか注文を付けられました。
時間を扱うには、まず時間に自由でいろと。
時間とは“ホンマ、ごきんとはん”、対等かつ身分相応に。お互い、顔色を探ることになってもいいと。
そして早めに、自分の書いた意味不明な日本語を自省せよと(……)。
それにしても、外科医が時間を気にせずに時間を究すること、何と幸せなのでありましょう。忙しいなあ、俺って奴は…、いや違うか、多分、暇なんだと思います。でも灯火は、まだ消えそうにありません。

「皆さま、有難うございました。また何処かでお会いしましょう」